韓が滅び、廃城は落ち、秦は矛先を楚に向けた。まもなく魏や趙もなくなるころ。
燕の太子丹が田光と荊軻に守られて、秦を脱出し母国に帰る。そのとき、妓女の依依を伴った。それが秦のスパイと疑われるところまで。
秦国内では呂不韋(りょふい)が毒を賜り(つまり死刑)、李斯(りし)が権力を握る。
4枚目になる。いよいよ伝奇から歴史の中に入っていく。しかし、それでも改編は多い。
田光が将軍となっている。そして太子丹に秦王政(のちの始皇帝)の暗殺を相談され、荊軻を推薦する。丹が頼んでも荊軻は承知せず、田光が頼むことになる。
そのとき、「わたしにはできないので荊軻がやってくれ」と言って、自決してしまう。
知られた史実では、田光は名士であって将軍ではない。丹は相談したとき、「国の大事だから秘密に」と言ってしまう。田光は荊軻に「わたしは死んだので、秘密が漏れる心配はないと太子丹に伝えてくれ」依頼し、自決する。
この言葉が田光の名言なのにおしい。秦を脱出する時から助けられたとして、田光を将軍にしてしまったために、この言葉も変更せざるを得なかったようだ。
燕国では丹の妹がそれなりに武術を知っていて、自分の意志を持ち、なかなかに面白い存在。荊軻を送り出すときに、髪を切ってしまうほど。彩りをそえている。
樊於期は将軍となって燕軍を指揮するが、勝てないことを自覚している。そして、荊軻が秦に行くとき、手みやげに自分の首を持っていくように進言し自決する。これなら矛盾しない。
史実では、樊於期は秦から逃亡してきた客員。荊軻が樊於期の首を要求して、樊於期は自決する。
そして、荊軻を送り出すところで終わる。
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荊軻は「傍若無人」の語源となった人。酒を飲むと、歌を歌ったりして傍若無人だったという。人格的に優れている人物とはいいがたい。もちろん刺客を業とするほどだから、人格的に優れているはずがない。
歴史的には、刺客でことを決しようとした太子丹の評価は低い。この後秦から太子丹の首を要求され、その要求を飲まなければならなくなる。秦は相手が弱いと見れば約束を違えることで有名。要求を飲んでも飲まなくても、間もなく燕は滅ぶ運命にある。
秦の将軍のとき、樊於期(はんおき)の部下が畑からトウモロコシを取ってきて、食っている。樊於期はそれを禁止していたので叱るものの、畑に銭を埋めておけと命じて終わる。このやり方は常套手段だ。
これも反樊於期勢力に知られ、密告される。樊於期はますます立場が危うくなる。前にも書いたが、新大陸の作物であるトウモロコシは秦の時代にはない。背景に出るだけでもおかしいが、これが主題になってしまってはぶち壊し。
もっとも、制作者一同が、昔から中国にある食べ物と思っている可能性もある。