2010年09月15日

塩官と陳家

岡崎由美先生と行く中国の旅
横店影視城と金庸ゆかりの地を訪ねる 3

 9月3日、朝食後、塩官へと向かう。塩官は海寧の一部であり、銭塘江の海嘯で有名なところである。
 塩官は昔は芝居が盛んであった。上海の昆劇と張り合っていたが、結局は昆劇が残ることになった。
 塩官の海寧州城の一部を見学。まだ早かったが、事前に連絡しておいたので、服務員が時間前に来てくれた。
 ここは予定外。岡崎先生が陳家洛(架空の人物)の生家が見学できると知って、現地の旅行社に手配させたところ。

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 ガイドは高校生かと思えるような幼い顔つきの女性。鹿鼎記の双児を思わせる。
 名は陳さんという。固有名詞を憶えるのが苦手なわたしが憶えているのは、この街が陳氏を中心とした町だから。
 後ろは海寧州城宣徳門。

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 指さしているところが海神廟、この後に行くところである。今は城門から陳閣老宅まで。(書剣恩仇録では、この門の外に子供の陳家洛の身の世話をした雨詩の墓がある)
   
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 保存されている旧市街。いるのは我々のグループのみ。

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 入り口には「花居雅舎」、中には「青楼」

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 鹿鼎記の「麗春院」撮影現場。

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 運河の橋。こちらは、ちょっとした広場になっている。この橋は渡らない。

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 陳閣老宅。海寧陳家である。「書剣恩仇録」の主人公陳家洛は架空の人物だが、海寧陳家の人。ここがその故居である。陳家は代々進士を輩出し、明清の時代に進士及第三十二人という。
 特に有名なのは、乾隆帝がこの陳家の人であるという俗説である。「書剣恩仇録」では陳家洛の実の兄という設定。

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 見取り図。かなり縮小されて、青いところが現存の建物。

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 祠堂の天井、凝った造りだ。

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 中庭 枯山水のような造り。下は池だったのか。

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 筠香館(書剣恩仇録で陳家洛の母の旧居)
 竹(筠)が香るの意味。写真にはないが、右手の窓の外に竹が見える。
 この建物と双清草堂は見取り図の向こう側が正面になる。
 おそらく一般には、中央を通り、向こう側からUターンして左に回り、祠堂は最奥になるのではないか。

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 壁にそって奥へ。

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 双清草堂、現在は一番奥になる。

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羅漢松
 槙なのに羅漢松とはこれいかに。

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 この門はどこにあったのだろう。入り口とその正面の愛日堂の間か。

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 愛日堂 ここが陳家の中心であろう。入り口から入ると正面にある大楼だ。
(愛日は息子が父母に孝行すること、書剣恩仇録では乾隆帝の宸筆)

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 愛日堂の後ろの部屋は舞台がある。見るのは男性のみ。女性は二階で声を聞くだけである。もっとも舞台を上から覗くことができる。

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 この海寧陳氏は歴史が古く、このような当時の石碑に刻まれて残っている。数え切れないほどあり、大事に保存している。

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 陳家の前は運河がある。遊び用の舟であろうか。
posted by たくせん(謫仙) at 07:14| Comment(4) | TrackBack(0) | 江南 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
夢漢松ではなく羅漢松です。日本での読みはラカンショウまたはラカンマキ。
おっしゃる通りイヌマキの変種で、中国での別称が羅漢松といいます。
この塩官古城には南宋から続く「皮影戯」も残っているので、時間があればそれも見たかったです。
Posted by 八雲慶次郎 at 2010年09月15日 17:29
 間違っていましたか。訂正しました。わたしは固有名詞だと思っていたンですよ。ありがとうございます。
 皮影戯はまだ開店前でしたね。扉は開いていましたけど、中には誰もいませんでした。
 急ぎ旅で、地図を見ながら一周するなんてことは、できる状態ではありませんでした。それでも一人旅では絶対行けないだろうと思うところばかり。
 ここもその一つでした。
 
Posted by 謫仙 at 2010年09月15日 18:18
陳家は名家なのですね。
立派ですが、何か貧乏人の私には落ち着かなさそう・・・
これは、好みの問題でしょうね。それと観光化されている
こともそう感じさせるのかもしれません。
でも、簡単にいけるところではないようなので、興味のある
人には、興味深々なのでしょうね。

保存されている旧市街のが何か心惹かれます。
Posted by オコジョ at 2010年09月16日 10:35
オコジョさん
陳家は名家ですが、当時は個人ではなく、財閥のような企業グループの総本社のようなものでしょうね。その活動によって町全体が潤う。
だから町の人たちも敬意を表したでしょう。それだけに当主に人を得ないと悲惨なことになりそう。
わたしたちにしても、小説の舞台だから行ったのであって、そうでなかったら素通りしたと思います。

少し文を追加しました。
Posted by 謫仙 at 2010年09月17日 08:46
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