2009年09月13日

天龍八部の旅8 大理古城

    dailichizu-1.jpg  05763.jpg  地図

 大理古城の観光は南門から始まる。

P8222367.JPG
南門(南古楼)
 天龍八部影視城から南門まで来るが、途中に城壁が整っているところがある。近年の再建による。
 そして南門。ここから歩いて城内に入り、そこにある銀細工の店前でこの地方の銀細工の説明を受ける。白族は白い銀が好き。だから白族と言われる。重要な産業だ。純銀では一年もすると色がくすんでくる。そのためほんのわずか錫を混ぜて(0.?%という程度)白さを保つとか。
 もっとも店先で手工業的に銀細工を作成しているのは、こんなに手間がかかりますという、デモストレーションだろう。実際は……。とにかく大理は銀製品が多い。
 南門から五華楼あたりまで、土産物屋が並ぶ観光の中心である。観光地があって、そこに土産物屋があるのがふつうだが、大理は街そのものが観光地。
  
05075.jpg
 大理市博物館。05年撮影。
 この反対側に軍事施設があって撮影禁止なのだが、わたしにはなにも見えないように見える。なぜ撮影禁止か。それが軍ということなんだろうな。

P8222368.JPG
 五華楼
 五華楼で自由行動となり、わたしたち有志はその先の書店を目指した。めぼしい物はなく、引き揚げることになる。

P8222369.JPG
 五華楼の先はどこまで行ってもこのような道が続く、水は北に流れている。これは中国的ではないと思う。
 天子は南面す。一番北に皇宮を建てるのが中国的。それをまねた日本では、平城京も平安京も、一番北に皇宮を建てた。ここでは一番北は地理的には下町になってしまう。皇宮はどこにあったのだろう。
 五華楼から西の方へも少し歩いたが、往復5分。

P8222372.JPG
 雨が降っていて、椅子はびしょ濡れ。立って丼の麺を食べているのは、観光客か店の人か。

P8222373.JPG
 十二支の彫刻のある広場。あちこちでこうしてきれいな水が流れている。山が近いために水には恵まれている。
 南門近くの集合場所に向かうと、大げんかの現場にあたる。数人の団体戦。わたしの目の前の男が、倒れた男を蹴り、椅子を振り上げたところに、男が抱きついてやめさせた。その表情は命がけ。このけんかは、みな見ていたようだが、始めたころ見た人と、わたしのように終わりごろ見た人ではまるで違った別事件のようだ。どうやら店の人と客の、商品を巡る交渉が発端らしい。
 さて、集合場所に戻ってみると、これから一休みにお茶を飲もうという。
 「お茶を飲む」であって、「お茶をする」ではない。お茶の店に入る。
 そこで三七茶という茶を出された。田七という植物の花茶である。根も茶になるが、いずれも漢方薬に近い。かすかに苦い。何とかの効能があると言うが、わたし全く期待しない。それならそれ専門の薬を処方して貰う。

P8222374.JPG  P8222375.JPG
 三七茶は透明。そのためか、器も透明猪口のよう。右は田七の花。これを淹れたのが三七茶。
 次にプーアル茶。これはかすかに甘く美味しい。プーアルは地名であって、日本で言えば静岡茶とか狭山茶とかいうようなもの。ただしプーアル茶は独特の作り方をする。それなので何年でも保つ。
 長い交易路を旅して遠くへ持っていく。そのため、かさばらないようにレンガ状に固める。そして時間で熟成させ、10年を越えるものもある。
 その淹れ方だが、熱湯で淹れ、三せんくらいまで数秒で捨てる。従来、初めは美味しくないからと言われていたが、ここでははっきり、「茶葉は汚れているのできれいにするため」と言われた。その言葉が気に入って、プーアル茶を買った。
 日本に帰ってきてもまだ開けていない。レンガ状の茶を削るための簡単なナイフまで付いている。

 今夜の宿は、亜星大飯店(アスターホテル)。南門からバスで3分ほど。このバスの中でガイドが、今夜は「天龍八部」を味わいましょうという。なんだろうと思っていたら、酒である。アルコール度は38度だったかな。蒸留酒だ。
 お土産に欲しいと言う人が多く、ホテルの在庫が足りなくなってしまった。明日の朝までに用意するという。わたしはパス。夕食のとき試し飲みをしたが、アルコールの味ばかり。岡崎さんは、「美味しい酒だ」という。わたくしめには判りません(^_^)。

 さて、この項を書くにあたり、ある問題が発生した。大理は南北の門は古く、東西の門は最近再建したと説明された。城壁も一部再建された。
 大理城は復興路の両端に南門と北門がある。
 人民路の東端に東門、玉洱路の西端に蒼山門がある。
 この4門にほぼ道に沿って囲まれたあたりが大理古城だ。
 ある観光地図に人民路の西端に西門があり、それが真っ直ぐ、天龍八部城に行く道に通じていたのだ。前回旅行のわたしの記憶とあまりに違いすぎる。
 蒼山門から三百メートル南に西門があるだろうか。
 グーグル地図を見て、記憶をたどった。
 前回の旅行のとき、わたしは、東門から人民路を歩き西に行った。突き当たりには城壁も城門もなく、普通の田舎の大通りの感じだった。
 そこを右(北)に少し行くと、「天龍八部城此上」という看板があり、そこの道には観音古市の表示(門のような、鳥居のような)がある。この道はバスは通れない。

05088.jpg
 そこを西に曲がり、観音古市の表示をくぐり、西に歩く。途中で右から(蒼山門から)来た馬車に乗り、天龍八部城まで行った。帰りも馬車だが、蒼山門に着いた。観音古市の表示のところからもこの馬車だまりは見えたのだ。
 蒼山門から玉洱路を東に向かい、風花雪月大酒店まで戻った。
 つまり蒼山門は玉洱路の西。東門は人民路の東。ずれているのである。
 いろいろ調べたが、その地図には蒼山門がないので、西門とは蒼山門のことで、位置は間違いであると結論。位置ばかりでなく、蒼山門の西の地図はこの地図とはまるで違う。疑問が残る。観光地図ではいつものこと。
 追記:このあと、八部城で買った地図を見たらそうなっているのに気づいた。麗江の地図しか見ていなかった!!
 見れども見えずとはこのこと。

 付記、風花雪月という、大理の風光を表す言葉がある。西に蒼山がせまり、東は湖の向こうに山脈があり、南北に走る。山に挟まれた大理は南北の風が吹く。土地は春城といわれるように温暖で花がいつも咲いている。雪は西の蒼山の万年雪。月は湖に映る月影だったか。

 これでようやく観光の一日目が終わった。
posted by たくせん(謫仙) at 09:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 雲南憧憬 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。
この記事へのトラックバックURL
http://blog.seesaa.jp/tb/127923689
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。
※言及リンクのないトラックバックは受信されません。

この記事へのトラックバック