ここまでドラマはほとんど小説通り、新たな付け加えは見当たらない。安心して見ていられる。
いよいよ建寧公主が、雲南の平西王呉三桂の息子呉応熊に嫁すことになり雲南に行く。呉応熊は苦労知らずのお坊ちゃんだ。雲南で王子として育ったためか空気が読めず、大事な場面でも神経が明後日に向いていて、改易の危機だというのに、目の前の状況を無視して嗅ぎ煙草を手放さない。
雲南平西王呉三桂の立場は危うい。清朝はなんとか落ち度を探して除こうとしており、沐府の一族遺臣は雲南を取り返そうと狙っている。天地会と九難は別々に明朝の裏切り者として狙っている。
呉三桂はじめ臣下の者たちは、万一落ち度があっては、と神経を張りつめている。そんな呉三桂の息子がこれでは、呉三桂も内心気が気じゃないだろうな。
第三十回
陳阿珂が呉三桂の暗殺に失敗し、牢に入れられる。陳円円がそこに来て言う。
「孩子。我是ni你娘」「我没有娘」
この訳が
「阿珂。母ですよ」「ウソね」
「娘」は「母」の意味。訳はうまいと思うのだが、問題はこの阿珂という呼びかけ。陳円円はこの娘の名を陳阿珂とは知らないはず、と思ったら、前回に九難が「阿珂は生きている」と教えている。陳円円は阿珂といきなり言われて受け入れている。
鉄剣門の排行で、陳阿珂・王阿hと「阿」の字か付けられた名を九難が付けたのかと思っていた。しかし、そのあと、陳円円は心の中で「珂児」と呼びかけているところをみると、阿珂という名は陳円円が付けたのか。牢内の陳阿珂に孩子と呼びかけ、阿珂とは言っていないあたり、本名は阿珂でも今の名はわからないということを示していないか。
この「孩子。我是ni娘」「我没有娘」だけでも微妙な心理のアヤが伝わる。うまい訳ながら日本語訳では、阿珂と呼びかけているのは失敗かも知れない。
(これはわたしの思い違いだった、コメント参照)
ちなみに小説では陳円円の話の中に、
その子は私を見るなり、しばらくぽかんとなっておりましたが、そのうちに「私の母さまなの?」わたしはうなずいて、お屋形さまをを指さし、「お父さまとおっしゃい」
しかも、陳円円は陳阿珂の阿珂という名は知っているのに、陳となのっていることはその時まで知らなかった。
そんなわけで、阿珂の名はもともと阿珂だった。鉄剣門の排行はたまたま「阿」の字を利用しただけで、本来の排行ではない可能性が高い。
たまたま聞き取れた中国語に変に拘ってしまった。
もうひとつ、九難の心の問題がある。わたしは碧血剣の続きという意識がある。
わずか十五歳にして、悟ったように仏門に入り、袁承志と別れた阿九が、十七年もかけて呉三桂を殺そうとする、この心の闇はなんだろう。呉三桂の娘を二歳の時に掠い、十五年かけて暗殺者に仕立てる。阿九と九難は別な小説の別な人格とみるか。
付け加えはありませんが、カットは多いでしょう。^^
子供を「孩子」と呼ぶのが中国では多いです。名前を知らないとは限りません。ドラマ「射G英雄伝」にもあるように、郭靖が陳玄風に襲い掛かられた時に、江南七怪が「孩子、快逃」と叫びますよね。郭靖の名前を知っているのに、「孩子」と呼称するのです。
逆に、日本語にはそういう習慣がないようですね。制作者は困っていて、あえて「阿珂・・・」と翻訳したのではと思います。2歳の時に攫われたということで、九難は王府の人間から子供の名前が「阿珂」であることを知れるかもしれません。つまり、「阿珂」は陳円円がつけた名前で、九難はそれを知ってそのまま使った可能性が十分あると思います。
九難については、国が滅びた・親族が全員死んだ・恋人が離れた、悲惨なことに3つも遭遇したのですね。誰でも心が歪んでしまいかけないでしょう。
カットシーンの場合、話が通じれば、ほとんど問題にはなりませんね。あの小説全部を映像化したら、とても収まりません。次回はそのあたりの話をしてみようと思います。
わたしたちは原作を読んでいるため、省略されても意味が判っているので気が付かないことが多そう。初めて鹿鼎記に接する人は「どうして」という疑問があちこちでわき起こるかと思います。
九難は片腕がないはずなのに、ここでは両腕があって、片腕が利かない。撮影の便がも知れませんが、本来の長平公主像に近い。
阿九が出家したのは、生きていく手段だったかも知れませんね。出家したときは悟っていて、修行中に仇討ちに凝り固まったとは考えにくい。これは謎です。
撮影の便とはいえ、片腕が両腕になっているのはいただけませんね。態度の問題です。私は謫仙さんに言われるまでに気付いていなかったのです。あまりにも観察力が欠如していて情けないです。。。
ちなみに、「明史」には左腕が切られたという記載があります。片腕に間違いないでしょう。
中国では昔から、長平公主が素晴しい武術を身につけ「独臂神尼」のあだ名で活躍する伝説が流されています。「呂四娘」という女弟子がいて、清の皇帝「雍正」を暗殺した(「血滴子」という奇抜な凶器を使って首をはねた)という民話もあるのです。あまりにもドンだ話です。もちろん本当のことではありません。
つまり、金庸先生がその伝説を小説に盛り込んでいるわけです。民話ですから、経歴や人格等の整合性はあまり考慮されていなかったかもしれません。
いよいよ、明日は「大幇会」の開催日ですね。ご記事と写真を楽しみにしています。^^
このことは読んだことがあるのですが、切り落とされたわけではなく、怪我で片腕が完全に利かなくなっていた、という話も読んだことがあります。
切り落とされた。
片腕が利かなくなっていた。
という両説があって、中国社会では「切り落とされた」説が有力なんですね。
わたしの印象では、「片腕が利かなくなっていた」説が真実ではないかと思っていました。
いずれにしても17歳の時に亡くなってしまうわけですが、聞くところによれば大事にされていたという。それで遺臣たちの抵抗を削いだとも考えられます。
「独臂神尼」、碧血剣の金龍幇羅立如が習得する「独臂刀法」を思わせますね(^。^))。 「独臂神尼」は剣だと思います。
中国ではいろんな通説があって、わたしなどは、こういう機会に通説の一つを知ることになります。金庸先生は、二つの物語を完全に合一させる気はなかったと思えますね。別々な物語であると。
さらにドラマになれば変わる。小説ではかわいそうな女のイメージでした。
大幇会、いよいよです。楽しみ。
掲示板にも書きましたが、新着情報として、倚天屠龍記が紹介されるのではないかと思います。