2009年04月29日

憶江南3 虎丘

江南を憶う 蘇州 虎丘
 虎丘斜塔の虎丘に行く。丘の高さは海抜三十四メートル。
 虎丘は春秋時代の呉王闔閭(こうりょ)を葬った陵墓と伝わる。葬ったのは臥薪嘗胆の故事で知られる息子の呉王夫差(ふさ)。
 雲岩寺がある。いろいろ伝説があるようだ。
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 雲岩寺の門、ここから見ると塔はあまり傾いてはいない。
 緩やかな真っ直ぐな坂道を登る。多くの籠屋が待っている。江戸時代の籠のように前後二人で担ぐのだ。若い女の人もいた。背を丸めいかにも苦しそう。
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 剣池は闔閭の墓と伝わる。同時に三千本の剣が埋められたとか。始皇帝(他説あり)がその剣を求めて掘った跡が池になったという。剣は見つからなかったらしい。

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 剣池の壁、下に澄んだ水が見える。墓のイメージではない。

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 雲岩寺、この上一段高いところに斜塔がある。

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 この巨大な雲岩寺塔は傾いているので有名である。石と土の地盤の上にまたがって建てられたからである。塔の高さは47メートルという。

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 このあたりから見るのが一番傾いている。15度くらいか。これだけ傾いているといつ倒れてもおかしくない気がする。

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 レンガを積んでいることが判る。

 雲岩寺塔を見学して門まで戻る。虎丘は広大な公園で、見所は雲岩寺塔ばかりではない。今回は時間もないし、団体なので定番コース。
posted by たくせん(謫仙) at 14:17| Comment(4) | TrackBack(0) | 江南 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
レンガといっても、石のように固そうなレンガ。
簡単に割れる赤レンガでは、このような塔は建てられないでしょう。
地震のない土地だからレンガで建てられるのか。
もし日本なら、震度5とかの地震が起こってとうに倒れていると思います。
始皇帝や呉王闔閭など紀元前の人の話が、正しいかどうかは分かりませんが、こうしてはっきり遺跡に残っているのは、歴史の厚みです。
日本なら弥生時代でしょう。土器の時代ですね。
Posted by mino at 2009年04月30日 19:38
弥生時代、登呂遺跡などの時代ですね。
その時にはすでに二千年を超える歴史があった。それだけ先に文明が興った迫力があります。

この塔も宋代961年に建てられたといいますから、千年以上。
千年なら日本にも対抗できる建物がありそうです(^。^))。
杭州の雷峰塔は簡単にレンガが盗まれ、崩れてしまいましたが、ここのレンガはコンクリートのように強そうです。
だからこれだけ傾いても保っているのでしょう。
Posted by 謫仙 at 2009年05月01日 06:48
かなり傾いていますね。バランスよく傾いているのでしょうね。
中は入れるようですが、上には登れないのでしょうね。

それにしてもどのくらいの煉瓦を積んだのか。
気の遠くなる作業を遠い昔に・・・
人の力というのも馬鹿にできませんね。

日本は縄文時代が1万年も続いた、のんびりした
平和な国だったようですね。
Posted by オコジョ at 2009年05月01日 14:32
出入り口には鍵がかかっていました。もちろん一般の人は入ることはできません。
このレンガの量はいかほどか。もしかすると、エジプトのピラミッドのような、失業対策かも知れません。宋の建国2年目です。兵役から解除された多くの人が浮浪化するのを防ぐために。これはわたしの想像です。
縄文弥生の日本はまだまだ人口も少なく、国や都市もないので、穏やかだったことでしょう。想像するだけですが。
Posted by 謫仙 at 2009年05月02日 07:36
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