苗若蘭はまた記憶を失い福康安の下へ。
福康安が都へ帰ると、苗人鳳と無塵道人の死体をさらそうとしている(いつもの如く、往復二千キロの旅は何日かかったのだろう)。
乾隆帝は福康安に田帰農を高官にしたのは策略だと告げる。福康安は田帰農を酔わせて暗殺者に襲わせるが失敗。田帰農の恐ろしさを知ることになる。このあたりの田帰農の酔っている様子が見事。一目見ただけで酔っていることが判る。メイクのせいか演技力なのか。
胡斐は気が付いて、よろよろと宝の洞窟に入っていく。落ちたところが違うだろう。山荘から落ちたならば、そこのサルノコシカケ状の出っ張りに引っかかっても(そこには樹がなくて、引っかかるはずがないが)、吊り橋から落ちてそこに行くはずが無い。
福康安は苗若蘭を道具にして、田帰農を陥れようとしている。
苗若蘭は福康安の正妻を簪で刺し(と言っている)、田帰農のいる部屋に逃げ込む。そして田帰農の帰りに同行し福府から逃れる。
若蘭は少し思い出したこともあるようだ。
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第三十八集
田帰農は若蘭に父と無塵道士の遺骸を見せる。遺骸はよく形を保っていたなあ。殺されてから何ヶ月たつやら。もちろん千里の道も一日で往復するようなので二三日かも知れない。
なんと若蘭にナイフを持たせ、苗人鳳を刺させる。
若蘭は田帰農に毒を飲ませ、力を奪うが、鉄花会との争いに田帰農は逃げてしまう。
若蘭は胡斐たちが助けに来ても拒否する。そのあとの述懐では、いつか記憶が戻っていたようだ。「帰っては父の仇が討てない」と。
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第三十九集
胡斐たちは二人の遺体を持ち帰る。苗人鳳の首筋には胡斐たちに伝えるために文字か刻まれていた。「提撩剣 白鶴亮翅に破綻あり 脇下を攻めよ」これが三カ所の欠点か。しかし、どうして田帰農は文字があることに気づかなかったんだ?
この前後の胡斐の行動は三流、脇役としても魅力がない。
雪が消えて新芽が吹き出した時期。初めてだ。いままで真夏でさえ雪があったのに。
田帰農は五万の軍を引き連れて玉筆峰まできた。もう帰る気はない。宝を手にして、独立する気でいる。胡斐たちは若蘭を助け出し、田帰農の企みを阻止しようと画策する。
田帰農が酔って、若蘭を蘭と勘違いし、苗人鳳を殺したことを話して聞かせるのは鬼気迫る。若蘭の様子では完全に記憶が戻っているようだ。
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第四十集
山ではまだ雪がしんしんと降っている。胡斐が袁紫衣たちの墓に詣で、雪のふるなかで「美しい夕焼けだ」って、どうでもいいのだが、いちいち引っかかる。
若蘭はもう一度田帰農に毒薬を飲ませようとする。だが田帰農は用心していた。その毒の入れ方だが、銚子に粉を入れて箸でかき回す、ってそれでは無理だよ。田帰農は若蘭を疑っていたのだ。たちまちばれてしまった。生きたまま棺桶に入れられて、埋められてしまう。
胡一刀の墓の前で、胡斐と田帰農の一騎打ち。胡斐の刀が折れてしまうが、田帰農が墓石を割ってしまうと墓石の中に宝刀があった。その宝刀は墓石が建てられてから墓の前の土のなかに埋められたものだ。どうして墓石を割ると出てくるのだ。
しかも「提撩剣 白鶴亮翅に破綻あり 脇下を攻めよ」には関係なく、田帰農の斬りかかってきた剣を宝剣で受けると田帰農の剣は折れてしまい、それで勝つ。
麓の東に広がる草原で、付近の村人まで動員して、ようやく若蘭を捜し出す。
ラストは、まあそれらしい終わり方をして、苦情を言うほどではない。
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飛狐外伝と雪山飛狐は別々に作られた話なので、設定に矛盾がある。そのため、それを併せるのに、いろいろと工夫しなければならない。しかし、このドラマは、矛盾解消よりもそれを無視して、独自のストーリーを作成してしまっている。そのため矛盾がさらに広がった。
わたしは金庸小説に惚れて、武侠の世界に入った。そして他の作家の本を読むようになったが、それらはあれば読む程度で、夢中になれる作家は金庸だけだった。金庸小説は再読しても三読してもおもしろい。
ここで問題は、このドラマの作者のストーリー作成能力だが、恋愛シーン以外は見るべきものがない。はっきり言って三流。そのため、金庸ストーリーのような魅力がなく登場人物の個性が生きてこない。
たとえば七心海棠の話は矛盾だらけで、お話にならない。設計図もなく材料だけに金をかけて新米大工が建てた家のようなものか。この内容ならレンタルビデオで一度見たら充分。判っていたらレンタルでも見ないだろうな。
金庸に匹敵するストーリーを期待するのは酷であろう。しかし、それなら、原作に沿って作れば見られるものを。創作部分も酷いが、改作した部分はあきれるほど酷い。なんのために改作したのか。
痛快性がなくなった。恋愛部分だけはなんとかまともな物語になっているが、そのために武侠が死んでいる。恋愛もミステリーも、武侠を助けるものでなければ意味がない。金庸小説が大恋愛小説でありながら、武侠小説といわれるのは、そのあたりの扱い方が適切だからではないか。
宝にしてもそうだ。いままで李自成だの、胡と苗など三家の過去の因縁だの、謎の詩文だの、密書だのと、さんざん伏線を張っておきながら、それとは関係なく簡単に見つかる。なんのための伏線だ。せめて、謎を解いて宝が見つかるとか(小説ではそうなっている)、田帰農が剣の破綻で死ぬとかすれば、格好は付く。
山荘は、崖の上の、よく絵にある仙人の住むような質素な家を考えていた。それがなんと豪邸。そんな場所にそんな豪邸を建てられるわけがない。
地理の考察もなく、もはや原作金庸というのさえ問題になりそう。金庸さんがこの内容で許可を与えたのだろうか。
初めて買わなければよかったと思ったDVDだった。それでも前半はそれなりに面白かったことを付記しておく。
このドラマは金庸原作ものですが、さすがに日本には入ってこないだろうと思っていたので日本語版が出ると知ったときには驚きました。
なにせ製作している途中に、ネットでどんなストーリーがいいだろうと意見を募集したといいます。もしそれらが採用されたとすると話の整合性などあったものではありません。
後半のぐだぐだなのはその辺のところが関係しているかもしれません。
紅花会を鉄花会にした理由もはっきりせず、そのほかの改変も中国でも批判されています。
日本ではドラマ→小説に入る人が多いので、これではドラマで止まってしまうのではと心配します。
どちらにしろ紙媒体は今年も廃れていきそうで残念です。
14作品しかないのは痛いですね。金庸さんにもっと書いてくださいとお願いしても今のご年齢でもう無理でしょう。
同じ香港の作家温瑞安さんがご存知でしょうか。作品の面白さとスケールは金庸に引けを取らないと思います。ただ、文章風格は古龍に近いので、謫仙さんのお好みであるかどうかは分かりません。また、歴史上実在の人物を小説に取り入れもしていますが、重い歴史感溢れた金庸小説に比べると何かただの道具扱いのような感じです。
さすがに金庸には及ばないでしょうが、非常に優秀な武侠小説家に間違いはありません。私の中で金庸の次、不動の2位です。
温瑞安の作品はあまり日本に紹介されていないでしょうが、もし日本語版もできたら、読んでみても損はしないと思います。
お勧めします作品:四大名捕シリーズ(本当に面白いよ)、神州奇侠シリーズ(「江山如画」、「両広豪傑」等)
シリーズでない作品にも良質なものが多いです。とにかく、読者を物語に入り込ませる能力が抜群な作家です。
金庸さんはドラマは見ないと言っていたのは知っていましたが、台湾版の笑傲江湖が気に入らず、製作途中で別に大陸版を作らせたり、許晴の聖姑を褒めたりしているので、多少はチェックしていると思いました。考えてみると、許可を出すのが先ですね。
作った後で不許可はむりだなあ。
作りながらストーリーを考える? ウワー、それじゃあ……
わたしのまわり、ネットで書き込みしてくれる方など、本を読む人が多くいます。しかし、世間では小説など読まないと言う人もけっこういますね。
ドラマ→小説 の順なら、これでは読みたくないだろうな。
金庸さんは、14作品ですべての人を書き尽くしたと言っているし、同じ人を出さないので、寡作も仕方ありません。もっとも超長編小説ばかりなので、寡作と言えるのかな。
香港の作家温瑞安さん。記憶にありませんが、おそらく、岡崎先生の本の中にありそうです。八雲さんならご存知かな。翻訳は出ていないようです。
今でも誰かが翻訳をしているかも知れません。期待します。
詳しくはまだわかりませんが、張三豊役は碧血剣のジジザルの人だそうです。半分くらいは
できているようです。
倚天屠龍記はまだ撮影中のようです。
今までのようなやり方ならば、撮影が終わってから、編集に一年、日本語版作成に一年。
まだ二年以上待たなければならないでしょう。
こんどこそ、小説忠実版をと期待します。なにしろ奇々怪々な人々や道具立てがそろっていますからね。