宋(そう、420年 - 479年)
419年 劉裕は東晋の安帝を殺害し、安帝の弟を恭帝とする。
420年 禅譲を受ける。宋の初代武帝となる。
422年 武帝死去。長男劉義符が二代目となる。
424年 二代目は、臣下に廃位される。少帝
武帝の三男が文帝となる。この時代が30年間。
453年 皇太子劉劭は文帝を殺害して 四代目となる。(3ヶ月)
454年 弟劉駿が兄四代目を殺して、五代目孝武帝となる。
なお、武帝の男子は順に
少帝 劉義符 - 母は張夫人。廃位、後に暗殺される。
廬陵王 劉義真 - 母は孫修華。少帝の代に処刑。
文帝 劉義隆 - 母は胡婕、。暗殺される。
彭城王 劉義康 - 母は王美人。文帝の代に処刑。
江夏王 劉義恭 - 母は袁美人。前廃帝の代に処刑。
南郡王 劉義宣 - 母は孫美人。孝武帝の代に処刑。
衡陽王 劉義季 - 母は呂美人。病死。
この物語は文帝 劉義隆の時代で、文帝は病弱で朝廷に顔を出さず、彭城王 劉義康と竟陵王(史実では南郡王) 劉義宣が登場する。(竟陵王とは三代文帝の子 劉誕である)
それにしてもまともな死に方をしていない。この皇族同士で殺し合うのが劉宋の特徴で、長続きするはずがない。
東晋から引き継いだ重臣は、「皇帝家は身分が低い。身分の低い者は政治に口を出すな。政治は身分の高い我々が行う」という、自分たちが国の主のような態度だ。東晋の悪いところも引き継いでいた。