原題 延禧攻略 全70話(2018)
2020.3.2 記
2020.5.30 加筆
清朝乾隆帝の時代。後宮では陰謀が渦巻いていた。ほとんどの話は創作と思われるが、どこまで本当か気になってしまう。なお王妃ではなく皇妃である。
皇后は富察(フチャ)氏であるが、子を亡くして失意の底にあり、高貴妃(こうきひ)が寵愛されていた。寵愛を受けると、事実上の権力も移る。問題は女官の生殺与奪の権力まであることだ。理由は適当でよい。まるで戦国時代だ。
ここに新米の女官として魏瓔珞(ぎえいらく)が入ってくる。亡くなった姉の死の原因を探る。その間にいろいろといじめを受けるが、常にそれを上回る知略で、相手を追い詰めていく逆転劇が痛快である。
倍返しだとは言わないが、女性版“半沢直樹”だ。
高貴妃や皇后など、高位の女性が次々と陰謀で死んでいく。多くの女官や宦官の死はペットの死と同じで、問題にもならない。清の最盛期の乾隆帝の時代なのに、後宮はけっこうお粗末。
魏瓔珞のモデルは魏佳氏の令皇貴妃で、名は不明。没後、子の永琰が皇太子に立てられたことで孝儀(純)皇后と追贈された。四子二女とこどもに恵まれる。
貴人→嬪→妃→貴妃→皇貴妃
皇后富察(フチャ)氏の女官になる。魏佳氏が貴人→嬪になってから皇后富察氏は亡くなるが、この物語では富察氏の死後に嬪になる。
悪辣な継皇后ホイファナラ氏(輝発那拉氏)をどう追い詰めるか、が後半の興味の中心になっている。史実では継皇后ホイファナラ氏は後に廃される。原因は不詳。
物語では、ホイファナラ氏はまともで従順だったが、間接的に高貴妃によって、両親と兄が死ぬことになり、いつか心を鬼にする。
一時、順嬪が登場して、問題を起こし、それを継皇后が利用するが、苦心の末解決する。そして瓔珞は身ごもる。そして継皇后と休戦協定を結ぶ。
継皇后は人を巧みにそそのかすが、決して自らは手を下さないため、10年以上にわたって後宮は平和を維持することになる。
十五男:永琰(嘉慶帝)も生まれ、この頃が「還珠格格」の物語の時代に重なる。
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乾隆帝の出自は海寧の銭家であるという、そんな俗説がある。金庸小説では、海寧の陳家としている。
参考 塩官と陳家
この乾隆帝は一応名君と言われている。しかしこの話の後宮といい、失敗を重ねた遠征も成功と宣伝したり(十全武功)、また、和珅(わこんヘシェン)という貪官を重用したり、けっこう問題も多い。
嘉慶帝が後を継ぐと和珅の罪を追及した。没収した財産は国家の歳入の十年分以上だったという。これだけ賄賂をむさぼる役人は空前絶後であろう。乾隆帝の時代はそんな問題の多い時代である。
乾隆帝の浪費がたたって(?)、清は衰退に向かう。
続いて、後宮の地図を載せたが、この様子が判らないと、物語の意味が判りにくいから。AからBに行くとき、途中で寄り道してCに行くことがある。寄り道できる場所なのか気になることがある。
紫禁城 後宮見取り図
魏佳氏(ウェイギャ氏) 略歴
雍正 5年(1727)魏佳氏出生、乾隆帝16歳。
乾隆10年(1745)正月23日魏貴人となる。11月17日令嬪となる。
乾隆13年 3月11日、富察皇后死去。
乾隆13年(1748)5月、令妃となる。
乾隆22年(1757)正月、南巡に同行。
乾隆24年(1759)11月20日、令貴妃となる。
乾隆25年(1760)10月6日、令貴妃は皇十五子の永琰(えいえん)出生。後の嘉慶帝である。
乾隆27年(1762)正月、南巡に同行。
乾隆30年(1765)正月15日,南巡に同行。5月10日,皇貴妃となる。
乾隆30年 継皇后ホイファナラ氏(輝発那拉氏)江南で皇帝の怒りを買う。
乾隆31年 継皇后 死去。
乾隆36年(1771)2月、泰山及曲阜に同行。
乾隆38年(1773)冬至,13歳の永琰が皇太子になる。ただし清朝では発表しない。
乾隆40年(1775)正月29日、死去、49歳。10月26日,金棺奉安裕陵。
乾隆60年(1795)9月3日、永琰を皇太子とし(発表か)、母の魏佳氏は孝儀純皇后に追封される。
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このドラマに対する、びっくりするほどの細かい考察を見た。
宣和堂遺事
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宣和堂遺事は目次がないため、いままでどんなことを書いていたか判らないが、中国史の細かいことを知ろうとすると検索に出てくるので、注目しているブログだ。