2019年03月21日

神雕侠侶・新版(于正版神G侠侶)

神雕侠侶・新版(監督:李慧珠)(于正版神G侠侶)

楊過:陳暁
小龍女:陳妍希

神雕侠侶・新版.jpg

 ドラマ「神雕侠侶・新版」を見た。
 旧版(2006年版・張紀中版)についてはいろいろ書いたし、原作小説も紹介してあるので、今回、変った部分や気になった部分を中心に書いてみる。

 まず、原作では略された、あるいは過去の話などを、取り上げているのが目を引く。それらがほとんど余計なのだ。

 李莫愁の古墓での修行時代、小龍女との交流がある。そして陸展元への恋。
 原作では、過去の話として語られるのみ。
 問題は時期である。陸展元に振られてから、古墓に入ったはず。しかも李莫愁が街へ遊びに行くなど、貨幣文化が入っている。そうなると小龍女が20歳になっても、お金の存在を知らないという設定が成り立たない。だからその場面がない。
 東邪や西毒や北丐などの原作にはない昔話も長い。過去の人である独孤求敗の話まである。原作にない、出てくる老人登場人物の過去のロマンスをでっち上げるが、無駄に思える。
 しかし、できは良いので、切り捨てるのは惜しい。わたしのように原作に惚れ込んでいる人とは違って、原作を読んでいない人は、悪くは思わないのではないか。

 ヒロインの小龍女だが、求婚者が集まるのは16歳の誕生日のとき。原作は18歳である。
 
 第7回で李莫愁が小龍女を「16歳にもなっていない娘に酷だと思わない?」 と言うシーンがある。おそらく15歳であろう。そして第8回で丘処機が「今日はその娘の16歳の誕生日」と言う。
 求婚する人が集まるのは、姉弟子の李莫愁のフェイクニュースによるのだが、李莫愁の方が美人なので、設定が成り立ちにくい。だから美人だけでなく、宝があるというフェイクニュースもつけた。

 4歳年下の楊過は12歳になってしまう。4歳年下という説明はないので、何歳に設定したのだろうか。
 それから余計なことだが、古墓派という言葉が多く出てくる。原作では自ら古墓派とは言っていない。楊過を迎えるときも名は無いといった。
 李莫愁が悪さを繰り返したとき、外の人が古墓派と言っただけだ。

 大人になってから、といっても4年後(のはず)だが、年下のはずの武兄弟の方がかなり年上に見える。
 そればかりではない。登場人物の多くが若い。老人の白い頭髪や髭を黒くすれば、そのまま20代で通用しそう。設定を変えたといえばそれまでだが、旧版の重厚さはなくなった。

 例えれば、旧版がプロの演劇なら、新版は大学の演劇部か。

 それだけに(老人たちも演者は若い)武闘シーンは迫力がある。見応えかある。
 全体的に見て、余計な話が多くて、配役と役者が合わない気がする。
 久しぶりに入った古墓の中が多くの蝋燭の光で明るい。人のいない廊下まで明るく照らしている。点したのを省略したにしても、そんなに多くの蝋燭があるのか。点す意味があるのか。旧版では暗闇であった。暗闇なら納得出来るのだが。

 これは承知の上でやっていると思うのだが、絶情谷の状況が異様である。湖が厚い氷で覆われ、人が歩いて渡れるほど。周りの山々は雪と氷で白く閉ざされている。湖から短い氷の道を通り、絶情谷の門から入ると中は情花の咲き乱れる別世界。高さ十メートルもないと思われる石塀の内側が春景色だ。初夏とも見える。閉ざされた世界ではない。門の内外でこれほど変わるはずがない。話題を提供するために、わざとやっているのかな。
 せめて桃源郷のように、トンネルを通って、小さいながら一山超えればよいが、ここは目の前が凍り付いた湖だ。宴会する場所も回廊だけ屋根のついた露天。せめて部屋の中にしてほしい。
 あとは神Gが気になる。身長だけでも楊過の倍はありそう。体積は八倍か。これが羽ばたいて空へ飛び立つのだ。このことは別なところでも書いたが、この大きさではグライダー滑空で飛ぶしかない。17キロくらいのアホウドリでさえ、羽ばたきでは飛べない。ただし、最後まで設定を忘れなかった。これは褒めてよい。
 原作では体が大きく、羽は抜けていて、飛べないことになっている。
 それにしても大きすぎ。旧版でも大きすぎた。
 飛ぶことをいえば、旧版でもそうだったが、ドラマの設定が人が飛びすぎ。達人は簡単に数十メートルくらいの高飛びをする。原作では屋根に飛び上がる程度。問題は、旧版などは肝心なところで原作に戻ってしまうことだ。ここぞというときに飛べない設定に戻る。これがいつも引っかかっていた。
 今回の新作では、襄陽城のあの郭襄救出の場面まで、設定変更を忘れていなかった。

 小龍女は俗に言う「氷のような女」。孫ばあやが死んでも動じない。
 旧作の劉亦菲の小龍女の場合は、形は動じないようでも優しさが出てしまう。それが金庸先生には不評だったほど。厳しさが求められる。
 新作の小龍女は、はじめからかなり感情が表れて、にっこりしてしまう。とても「氷のような女」ではない。
 かなり美人だ。特に斜め横から見た顔は美しい。ただ真正面から見ると、下が膨れていて、厳しさがない。他を圧倒するような美人ではない。小龍包などと酷評されているが、わたしは美人だと思う。

 郭芙はかなりの美人だが、頭が足りない人物。しかし新作の郭芙役は、容貌が整っていて、眼光もはっきりして、頭の足りない感じには見えない。それなのに言うことなすこと頭が足りない。違和感がある。いままでこの女優を見たのは、多情江山と錦綉未央だが、どちらも表は一歩も二歩も引いていて、実は裏で陰険な陰謀を企てる役だった。その記憶がわたしにあるせいか。
 郭襄役は好評だ。16歳の年齢らしい。違和感が全く無い。姉の郭芙が両親の七光りで威張っているのを、恥ずかしいと感じる感性が光る。

 そして最後の襄陽城の戦いは、楊過と小龍女が神Gに乗って登場する。神Gが空を飛べることにした設定を忘れていなかった。
 問題は襄陽城だ。広い平野の中の大河漢水と堀に囲まれた街のはずだが、ドラマでは両側を山に挟まれた、ダムのような形の城壁。これなら大軍で山道を作れば簡単に破れそう。襄陽城のイメージが違う。

 そして華山の新五絶選び、郭襄の言葉で終わる。

   相思相見知何日 此時此夜難為情
(相い思い相い見ゆるは何れの日か知らん、此の時此の夜情為し難し)
posted by たくせん(謫仙) at 10:46| Comment(0) | 神G侠侶 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする