2016年08月30日

孔子の古里、曲阜と闕里

岡崎由美先生と行く
水滸伝の舞台と世界遺産「曲阜・泰山」を訪ねる旅 2
孔子の古里、曲阜と闕里

 曲阜(きょくふ)駅には5分ほど遅れて到着した。
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 駅を出て十メートルほど歩いたとき、ポツリと雨が降ってきた。午後8時ころである。
王「雨です、急ぎましょう」
 雨よけのため、百メートルもない所に行ったが、瞬間的に大雨となった。迎えのバス(大型車)はここには入れない、バスの所まで行けない。

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 左の建物が駅舎

 待てども雨はやまず、タクシーに分乗してホテルに行く。水たまりはモーターボートで行くように波しぶきがあがる。あるところで「令狐冲」の看板を見た。何人も見たという。あれはなんだろうと話題になったほど。瞬間的に目に入るのだ。令狐冲とは“秘曲笑傲江湖”の主人公の名前である。
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 (9/11追記:令狐冲は焼き魚料理のチエーン店だった)
 ついたホテルは闕里賓舎(けつりひんしゃ)、L字型に孔子廟と孔子府に挟まれている。
 一時間ほど遅れたが、食堂のスタッフが待っていてくれた。
 夕食のビールは青島ビール。この後も昼食と夕食には必ずビールが付いた。毎日二回づつ宴会をすることになる。
   ♪♪兄弟が出会えば三椀の酒

 20日(土)の朝、雨はすでにやんでいた。朝食後に有志で散歩に出た。

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 窓外は孔子廟と孔子府に続く道。

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 ホテル闕里賓舎の玄関
 左に孔子廟、裏に孔子府がある。

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 孔子廟に向かう。まずは水の補給。

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 中国らしい商店街、上の「窓外の道」である。

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 孔子の時代の書物。木簡であった。繁体字なのでそれらしい雰囲気。
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 前は孔子廟の入り口方向、後ろは孔子府の入り口。ここの街路を闕里街という。

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 闕里(けつり)
 この門を闕(けつ)という。この中(里)が闕里(けつり)だ。この向こうは新興の街、と言ってもいつのことか。

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 電信柱を立ててから、商店ができたらしい。ただし、商店街はそうとう古そう。
 
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 昔の孔子廟の入り口。といってもいつの時代か。
 徳r天地の文字があるが、門の名前はなんだろう。

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 城門を抜けて右側、人の集まっている辺りが孔子廟への城門。

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 わかりにくいが概略。
 これから、世界遺産の孔廟・孔府・孔林を見学する。

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 中国語の説明 横1000ピクセル
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2016年08月27日

青島から曲阜へ

岡崎由美先生と行く
水滸伝の舞台と世界遺産「曲阜・泰山」を訪ねる旅 1 
青島から曲阜へ

 8月19日(金)、添乗員の増山さんと、岡崎先生と、英雄女侠10人が中国山東省青島の空港に集合した。
 出迎えてくれたのは、中国のガイド王さん。総勢13人となる。

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 青島の駅だが、こちらは在来線。右手の奥に行く。

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 高速鉄道の駅
 
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 周りで目に付くビル、ホテル。
 地下鉄の工事中であった。

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 マンション

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 ホテルだろうか。

 駅に入るには空港なみの荷物検査がある。

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 高速鉄道のホーム、電車は和諧号。

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 新幹線にそっくり、座席は横に3席2席。

suikodenchizu1.jpg     suikodenchizu2.jpg  横1000ピクセル

 青島駅から高速鉄道で曲阜に向かう。列車は時速三百キロを越えるのだが、鉄道が旧型で百八十キロしか出せない。済南市を過ぎると90度近く南に曲がり、新しい鉄道になり、時速は三百キロを越えた。

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 それも十数分で曲阜に付く。
 約三時間半、車内では江湖の話が飛び交う。
 王さんは日本語はうまいが、言い回しが今ひとつで、以下は多少訂正している。

岡「日本では三国志が一番知られていますね」
王「諸葛孔明は中国では人気がありません。諸葛孔明がいなかったら蜀はもっと続いたと言われていますよ」
謫「でも、諸葛孔明がいなかったら、蜀の国は興らなかったでしょう」
王「まあそうですけどね」
  参考  姜維伝
 孔明の八卦陣は、小説射G英雄伝の桃花島の黄薬師(東邪)が得意で、弟子たちもそれなりに会得している。
王「日本では諸葛孔明とは本当はどんな人だと思っていますか。神様みたいな人だと思いますか」
謫「政治家としては素晴らしい。だけど将軍としては無能(凡将)」
★「赤壁の戦いでは何にもしていないし」
 その他の評価に賛成してくれたけれど、ふっと思った。私たち一行には常識だけれど、一般の日本人はどうか。
 岳飛の説明もあった。
謫「南宋は国力が底をついて戦う力もなく、秦檜の和平工作でようやく国が保っているのに、主戦論を唱える困り者」
 岳飛は英雄扱いで、秦檜は国賊扱いであることを知っていたが、あえて口にした。わたしは秦檜を比較的高く評価している。
  参考  臨安水滸伝
王「岳飛の場合は岳飛よりそのお母さんに人気があります。子供の岳飛に「尽忠報国」の入れ墨をしたことで」
 なるほど、それなら納得できる。
王「皆さんはヤンジャーシャンを知っていますか」
★「ヨウカショウ?」
王「そうです、知っています?」
 わたしは少し間を置いて楊家将と気づいた。
謫「岡崎先生は、日本で初めて、楊家将を完訳したばかりですよ」
  参考  楊家将演義
 王さんが目を丸くした。
 その後、金庸に話が及んだか、これも岡崎先生が翻訳して日本に紹介したことを話すと、金庸の話より岡崎先生にびっくり。
 王さんは旅行の計画やその他いろいろに気を配ったが、岡崎先生については調べていなかったようだ。

 わたしは話が全部聞き取れた訳ではない。あちこちで通じないことがあった。
王「…は評判が悪いです。あんな下手な俳優をどうして使ったのか…」
★「…ワンイーイェンはかわいいので許す」
 ワンイーイェンとは…、しばらくして、王語嫣と気がついた。
 ウーン言われてみれば、王語嫣役の俳優は演技がうまいとはいえなかった。でもわたしは大好きなのだ。当時は15〜16歳。次の小龍女のときは、17〜18歳で、役をこなしていたと思う。
 俳優の名前とその役の名が、日本語と中国語で飛び交うので、理解できないほうが多かったかな(^_^)。まして香港の俳優は、中国語名と英語名があり、わたしは全くの不案内なのだ。
 岡崎先生も、「それはわたしも知らないンです。迷子さんなら知っているのでは」なんて話を振ることもあった。

 途中で濰坊市や淄博市を通るころ、もう暗くなってきた。この辺りは見渡す限りの平野で高い山がない。大農業地帯だ。華北の食料庫であった(このときは見えなかったが、帰りに実感した)。日本にもだいぶ輸出している。
 なお、配られた地図は日本語であった。
王「私の会社で日本人客のために作りました」
 その一部が上の地図である。
posted by たくせん(謫仙) at 06:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 武侠世界 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年08月06日

水滸伝

8.6記   8.13追記   8.18追記
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2016.8.6記
ドラマ 水滸伝   製作:2011年
監督:鞠覚亮  脚本:温豪杰
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 約千年前(約九百年前が正しい)、北宋末期徽宗の時代である。
 宋を裏で操る四姦臣、高俅(こうきゅう)蔡京(さいけい)童貫(どうかん)楊戩(ようせん)が悪政を重ね、それに反発した者たち108人が梁山泊に結集し……という話は、ここでは省略する。
 第三回、史進のいる農村で玉蜀黍(とうもろこし)が栽培されていた。玉蜀黍は南北アメリカ大陸で栽培されていたのを、コロンブスが見つけ欧州に持ち帰った。中国に伝わったのは十六世紀といわれている。宋の時代にはなかった。
 いつものことながら、武侠ドラマで農村に玉蜀黍があるシーンを見る度に、ああまたやっていると思ってしまう。大理の天龍八部影視城にもあった。あれも宋の時代の話である。
 「赤壁」でサッカーをやっている場面も浮き上がっていた。(これに対しては、下のコメントを見てください)

 まあ、細かい時代考証をやっていたら、ドラマが成立しなくなってしまうが、原作にない話を付け加えるときは、注意して欲しいものだ。もっとも承知の上でやっている可能性が高い。なにしろ、知らないで見ていれば、中国の農村らしい風景なのだ。
 こういう所がきちんとしていると、本体の虚構が冴えるのだが。第六回まで見た。展開は遅いが、かなり力を入れていることは判る。続きをみたいと思える出来。
 10年ぶり(?)にレンタルDVDを借りた。二話で一枚が100円。安いのか相場なのか。

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2016.8.13
 第12回まで見た。
 魯智深(ろちしん)が出家して、いや出家して智深の名を得るが、破戒僧なので寺から追い出される。このメチャクチャぶりがおもしろい。少し知識がたりないが、情は深い。
 林冲(りんちゅう)が、高俅に騙され捕まり、滄州へ流罪となる。このとき、途中で魯智深と義兄弟になり、魯智深に守られて滄州まで行く。流刑先では柴進の世話になる。
 かなり迫力のある場面がつづく。また役人の腐敗ぶりも詳しく、全体的には丁寧に作られていると思う。冗長と思えるほど。
 それから徽宗と高俅らが球技を楽しんでいるシーンがある。高俅は球技で高官になったといわれている人物だ。これは違和感がなかった。

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2016.8.18追記
第32回まで見た。

 一つ一つのシーンが比較的長い。時々眠くなってしまうことがある。一部倍速でみた。

 登場人物のうち皇帝と四姦臣。
★徽宗(きそう、1082年〜1125年、在位1100−1125)。
 散財によって事実上北宋を滅ぼした皇帝。政治に関心がなく、芸術家としては有名。
★高俅(こうきゅう、?〜1126)徽宗の治世下で殿帥府太尉を勤めた。
 蹴鞠がうまくて、皇帝にとりたてられたという。
★蔡京(さいけい、1047年〜1126年)は、北宋末の宰相、書家。
 収賄などで私腹を肥やした。その額は国家財政と比較されるほど。
★童貫(どうかん、?〜1126年)は、北宋末の政治家、軍人。
 禁軍の総帥。宦官なので常に皇帝に媚びていた。
★楊戩(ようせん)大尉で四姦臣のひとりとされながら、ほとんど何もしない。

 生死年はウィキによる。
 これにより、水滸伝はだいたい九百年前の話である。

 宋江と閻婆惜のくだりに碁が登場する。小説にあったかしら。
 宋江は閻婆惜に家を持たせて閻婆惜の母と住まわせる。伎女だった閻婆惜の思いが通じたようだったが、宋江は朱仝と雷横を伴い、兄妹の契りを結ぼうと言う。
 閻婆惜はたとえ妾でもかまわないと思っていたが、兄妹の契りと聞いて、顔は笑っても目に涙を浮かべる。
 宋江は滅多に寄りつかず、たまに来ても、仕事が忙しいと、閻婆惜をおいて寝てしまう。閻婆惜がふと目を覚ますと、宋江は独りで碁を打っている。
 閻婆惜が「私がお相手しましょう」と1手打つと、宋江はいきなり盤面を払ってしまう。碁石は床に散らばる。卓袱台返しなみだ。
 モノは十分にあてがっていても、心は閻婆惜にないことを示すきつい一場面だ。
 閻婆惜の悲しみをよそに、宋江は自分が冷たい態度で接していることに気づいていない。閻婆惜が離れていくわけだ。
 後にこの話を振り返って、「妾を切ったとき……」と言っている。兄妹の契りを結びながら、実際は妾扱いしていたのか。
 このあたりは小説とは設定が違うかもしれない。宋江が世間の人気の割に冷たい人間であることが判る。

 結局48回まで見たが、そこで中断した。全部で72回だったかな。できが悪いというわけではない。よく言えば丁寧だが、悪く言えばテンポが遅い。飽きてしまったのだ。
posted by たくせん(謫仙) at 09:47| Comment(2) | TrackBack(0) | 武侠世界 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする