2021年07月30日

宮廷の諍い女

 原題 後宮・甄嬛伝 (2012)  全76回
2020.6.17 記録
2021.7.30 追記訂正

 いやいやながら後宮に入った甄嬛(シンケイ)の後宮物語。
 原作は架空の時代だが、このドラマでは清の雍正帝の時代としている。
 雍正年間となれば、相当する女性に合わせて、それなりに形式を整えねばならないが、甄嬛(シンケイ)のモデルはいないようだ。これが瓔珞(エイラク)とは異なる。
 雍正帝の父の康煕帝は61年間在位した。そのため息子たちは高齢で、雍正帝の即位は45歳のときである。そのときすでに次の乾隆帝(四阿哥弘暦)は生まれていた。(この弘暦が優れていたたため、父の雍正帝が皇帝になれたとも言われている。このドラマではその話はない)
 雍正帝は勤勉な皇帝として知られている。在位は14年に満たない。そのためか、この物語では、権力の掌握が進まず、功績ある将軍の妹である華妃の横暴を押さえられない。
 そんな時代の、後宮の争いである。瓔珞はやられたら、とっさの機転でやり返すが、その内容はすこぶる危うい。戦術的に強いということか。甄嬛伝はそのスパンが長い。しかも機会は巧みに捉えるが、罠を仕掛けるようなことは少ない。そのため瓔珞と比べれば、初期はだれを感じることもある。しかし、途中から甄嬛(シンケイ)は変わっていく。
 後宮に入るのは、無期限で拘置所に入るようなもの。夫である皇帝も権力者としての魅力しかなく、心から愛しているわけではない。皇帝が通わなくなれば、拘置所と変わらない。
 甄嬛(シンケイ)は莞嬪として住むところは碎玉軒だが、これはどこか不明。一度出家して戻って来たときは、熹妃として永寿宮に住むことになる。そこは養心殿(皇帝の住まい)のすぐ後ろである。ただしこのドラマが各宮の位置関係を反映しているかは不明。

 このドラマでも皇后の権力は弱く、高官の血族の皇妃が、位は低くても事実上の権力を握って横暴を極めている。皇帝は高官の協力を得るために、それを認めざるを得ない。
 高官が権力を失うと、親族の皇妃も力をなくす。瓔珞にも似た話があった。
 ただし甄嬛伝の皇后はかなり悪辣で、皇太后が、皇后によって愛新覚羅(皇帝家)の血統が途絶えてしまうと、嘆く場面があるほど。

 半ばから甄嬛がかなり変わってきた。後宮では耐えているだけでは、生きていけない。積極的に攻勢に出よう。出家して戻るときは、情を捨てることを誓う。その後は全て権力争いに通じる。
 策を巡らすが、それがかなり戦略的だ。目が離せなくなった。初めにだれを感じたのが収束して行くような感じだ。
 単なる後宮の争いではない。エイラクよりも武則天に近いか。なお雍正帝は道教の怪しげな薬(実体は毒薬)に頼り、60歳前に衰えて死ぬことになる。
 雍正帝の最期は悲惨だ。皇族が女官を暴行しようとし、逃げられるが、なんと皇帝は女官を死罪にしてしまう。そのために身の危険を感じた甄嬛は、毒を飲まされた皇帝を見殺しにしてしまう。手を下したと言っても間違いではない。
 最後は甄嬛の美しさに圧力を感じるほどだ。
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 以下は妃嬪の結末である。☆は生涯を全うした者。★途中で不慮の死を遂げた者やそれに近い者。△はどちらとも言えない者。位階は上下に変化するが、その代表的な位階。

   官女子/答応→常在→貴人/→嬪→妃→貴妃→皇貴妃→皇后

☆ 莞嬪(甄嬛) →熹妃→熹貴妃→副皇后→聖母皇太后
★ 恵妃(沈眉荘)靜和公主を産むものの死去。最後まで莞嬪を助ける。
★ 安嬪(安陵容)→鸝妃 監禁の後、自害。
★ 華妃   →年答応→冷宮送りの後死罪。
       こどもに恵まれない。これには理由があった。
★ 皇后   事実上の離別となり、終生景仁宮に監禁。死去。
★ 夏常在  冷宮送り
☆ 欣貴人  欣太嬪となり最終回まで生存、目立たない。
★ 祺貴人  冷宮送り→庶人→撲殺
☆ 端妃   →皇貴妃→皇貴太妃  養子温宜公主(実母は曹貴人)
☆ 敬嬪   →敬妃→敬貴妃→敬貴太妃 養子朧月公主(実母は甄嬛)
★ 斉妃   自害 
★ 曹貴人  毒殺 
★ 余答応  処刑
★ 麗嬪   冷宮送り
★ 富察貴人 恐怖のあまり気が狂い、その後は不明。
△ 芝答応   官女に戻った。その後不明。
★ 淳常在  17歳で殺される。
★ 瑛貴人  死罪
★ 寧貴人  自害
★ 貞嬪   死罪
★ 康常在  死罪
★ 孫答応  死罪

 圧倒的に、まともに人生を送れなかった者が多い。
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 後宮の各宮殿は、一般的に南に門があり、中央は庭で、三方に建物がある。
 嬪以上になると宮殿の主となり北の主殿に住む。東西の脇殿は貴人以下が住み、主殿の主の支配下になる。時には官女子なみに扱われることもある。
 官女子は一応女官のような仕事をしているが、位は妾の最下位である。
 女官はいわゆる下女であり、25歳を過ぎれば退職できる。
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 時々、合歓の花(ネムノハナ)が出てくる。それは構わないが、「ゴウカンノハナ」とカナをふるのが気になる。何度も出てくるので、訳者が知らなかったと思える。ただ漢方薬では、樹皮や葉は生薬の合歓(ゴウカン)合歓皮(ゴウカンヒ)となる。それなので勘違いしているのかもしれない。


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2021年06月07日

楚喬伝

楚喬伝(そきょうでん)〜いばらに咲く花〜
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 これはおもしろかったが、しかし、もう一度見ようという気にはならない。それで消去した。
 原因は何だろうかと考えた。ストーリーが無理気味。武侠に偏るのは構わないが、どこか矛盾を感じさせる。
 訓練場所も、まるで20世紀を思わせるような、からくり仕掛け。
 南北朝時代の北朝、西魏(せいぎ)の時代。この時代にこんなからくりができるのか。
 たとえば、鎌倉時代に鉄砲が出てきても驚かないが、鉄砲鍛冶や弾丸の火薬を作る人も登場しなければならない。
 もちろんSFなので、そう設定するのは問題ないが、その説明が欲しいし、そんな能力者にしては、この結末はむなしすぎないか。
 見終わって虚脱感が漂った。中国では大人気だったという。
 わたし的には趙麗穎(Zhào Lì yǐng)の魅力だけで、最後まで見たドラマだった。趙麗穎は明蘭でも主役を演じた。明蘭はお勧めなので前回紹介している。

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次の2作は大人気だというが、金をかけたというが、わたしは魅力を感じなかった。それで途中まで。

長安二十四時
「長安二十四時」、不思議な題名である。原題は「長安十二時辰」だった。これなら納得出来る。
 数回見て、終わりにした。花がない話だ。

鬼谷子−聖なる謀−
 鬼谷子は伝説の策師。蘇秦(そしん)と張儀(ちょうぎ)の師と言われている。また信憑性は薄いが、孫臏(そんぴん)と龐涓(ほうけん)の師という説もある。
 期待したが、最後まで見ないで放棄した。

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海上牧雲記 〜3つの予言と王朝の謎
 これはおもしろかったが中途半端。
 よくできているが、名前負けしている。人物紹介で、ひとりは未来の皇帝、ひとりは未来の帝王、ひとりは九州を統一とするが、
 一人が皇帝になっただけ。起承転結の起承で終わったようで中途半端。
 あえて言えば、海上牧雲記の地上編。これから海上編になって、残りのふたりが紹介どおりになれば完結といえる。

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2021.7.3追記
ほとんど不要の駄文

 かなり前の話だが、わたしは小説を書いたことがある。勿論習作であり、応募するようなものではない。
 ある人に見てもらった。
「これは小説ではない。意見である」
 厳しい意見であった。しかし意見のない小説なんてあるのか。
 その人の書いた小説を読む機会があった。いい文章ではないか。しかし、プロットが判らない。わたしから見れば、それは文章の練習、つまり作文であった。これだけの優れた文を書けるなら、もう文章の練習はいいから小説を書いたら…、と思ったが、その人はそれを小説と思っているのだった。
 ここ何作か、中国の時代SFドラマを見ているのだが、何か気が乗らないのだ。
 一つ一つの場面、つまり街や家の様子などの舞台、道具類、俳優の演技力、アクションなど、びっくりするほどうまい。だが主人公は何のためにそんな行動をするのか、それが判らなくては、肩入れしようがない。
 主人公の成長物語か、昔の街の紹介か、武術の公開か、宮廷生活の紹介か、騙し合いか。
 そこで上の話を思い出したのだった。
 何作か途中で挫折した。紹介していない話もある。
 清朝の宮廷ものは、それがはっきりしているので、おもしろかったのだ。
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2021年06月05日

明蘭

明蘭〜才媛の春〜
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 内容は、
 盛家の娘・明蘭は母親の身分が低かったことから、父親から愛情を得られず、盛家の正妻や姉妹たちにも虐げられて育った。
 亡き母の教えを守り、自分の才気を隠して耐え忍び成長した明蘭は、やがて子供の頃に知り合った寧遠候府の御曹司・顧廷Yに見初められて顧家の女主人になり、夫を支え優れた才知を発揮していく。

 宋の仁宗(じんそう)から英宗の時代の物語。
 原題は 知否?知否?應是緑肥紅痩 というのだが、そういう小説があるという。上の説明はその小説の説明らしく、ドラマでは「亡き母の教え」ははっきりしない。

 さて、わたしが原題を一目みて驚いたのは、應是緑肥紅痩は李清照の詞「如夢令」であることだ。だが、内容は李清照の話ではなかった。
参考 李清照

    如夢令   李清照
  昨夜雨疎風驟  昨夜、雨は疎にして風驟く
  濃睡不消残酒  濃い睡りにも残酒は消えず
  試問捲簾人   簾を捲く人に問うてみれば
  却道海棠依舊  却って海棠は舊(きゅう)に依ると道(い)う
  知否      知るや否や
  知否      知るや否や
  應是緑肥紅痩  應に是れ緑肥え紅痩せるべし

 エンデングの歌では、次のように訳している。

  深く睡れど残り酒は消えず
  海棠は咲いたままと言うけれど
  知るや知らずや
  花は散り、残るは茂る葉だけ


 昨晩の雨風で、詞人は庭の海棠の花を心配しているのに、下女は昨日と同じですよと答える。そんなはずはないのに。
 ここは、「花は散り、残るは茂る葉だけ」ではなく、「花は少なくなり、みどりがめだつ」と言う意味だろう。

 このドラマは好評のようだ。最近は大勢の美人女優による後宮ものばかり見ていて、いささか飽きてきたが、これもその流れかな。
 周迅が主役の如懿伝でも、李清照の「酔花陰」が出てきた。こう見ると、李清照は現在でも知られた詞人らしい。この主人公は如夢令を思わせるような人生を歩むのだろうか。
 中国では一般に女性を教育することは少ない。その中で李清照は子供のときから文藝に親しんだ。両親もそのように教育した。

 この物語の盛家では娘たちにも教育を施している。他家の男子たちと一緒だ。その結果、明蘭は少女ながら盛一家の管理を任されることになる。
 明蘭は様々な技能を習得しているが、それを知っているのは祖母だけ。なぜ明蘭が管理を任されることになったのか、祖母だけが知っている。一時、娘たちの教育係になった女性も明蘭の資質を見抜いていた。

後半は顧家に嫁いだ後の話。本題に入って(?)、おもしろくなってきた。
わたしは別なところに興味を持って見ている。
 宋代は官の給料がもっとも高かった時代。それが元で、国家の財政基盤が危うくなっている。
 夫の顧廷Yは、武官として現皇帝(英宗)を担いだ人物なので、重臣となった。それで広大な庭園付きの邸宅を賜る。周りの官もそれなりに富んでいる。
 夫の本家からは、様々な形で横槍が入る。夫の若いときの財産はほとんど本家や親戚に奪われてしまっていた。しかし、地方には夫の資産が取られず残っていた。
 これらの家産の管理にも盛明蘭は異彩を放つ。
 最後が納得出来るのも良い。

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 概略だが、次のような時代である。
1022 仁宗(在位1022−1063)即位。
1044 西夏への歳費 絹13万匹・銀5万両・茶2万斤となる。平和も購ったことになるが、遼と西夏への歳費は財政を圧迫した。役人の多いことに加え、租税負担層が薄くなり、税収が減ったことも原因で、亡国の道を歩み始める。
1060 王安石「万言書」を奉る
1063 英宗(在位1063−1067)即位。
1067 神宗(在位1067−1085)即位。
1069 王安石、参知政事となる。

 最後まで見たが、王安石は出てこない。員外も出てこない。
 この頃を扱った小説では員外という言葉が多く出てくる。金持ちの意味である。
 金持ちは官位を買った。しかし仕事はなく無給である。定員外の官なので員外という。
 なぜ官位を買うのかと言えば、官になると税を免除されるからである。これにより国家の収入は少なくなっている。これも国力を弱める原因であった。
posted by たくせん(謫仙) at 09:51| Comment(0) | 武侠世界 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年06月04日

玄鉄令

2009.4.1 記
2021.6.4一部訂正

 侠客行には玄鉄令という、持つ者の願いを叶えてくれるという不思議な物がある。

 玄鉄令は表に「玄鉄の令、求め有れば必ず応ず」裏に「摩天崖、謝煙客」と書かれている。謝煙客が恩義を受けた友人に三枚与え、「手ずから渡した者には、いかに困難な頼みにも、きっと応じよう」と約束したのだった。
        
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 初めにベン梁(開封)の近くの侯監集で「玄鉄令」の争奪戦がある。
 持っていた呉道通は玄鉄令の主を捜し出せず殺される。呉道通の目的は不明。
 金刀塞の大塞主安奉日が一団で呉道通を殺して玄鉄令を探すが見つからない。これも目的は不明。
 石清・閔柔夫婦も遅れて現場に到着し、金刀塞を追うが、玄鉄令が見つからなかったことを知り、再度現場に行く。玄鉄令を手にしようとするのは、(第三巻P175)殺されたと思われる次男石中堅を掠った者を捜してもらうため。自分たちで十余年探したが見つからなかったからだ。
 主人公の狗雑種(のらいぬ)は落ちていた焼餅を食べようとしたが、その中に玄鉄令が入っていた。ただし玄鉄令の意味を知らない。
 雪山派が来ていて、戻ってきた石清・閔柔夫婦と金刀塞共に玄鉄令を見つけ三者の争いになる。
 玄鉄令三枚のうち二枚はすでに済み、最後の一枚がこれだったのだ。
 そこへ謝煙客が登場した。
「……無恥の輩の手に落ちて、死んでみろの何なのと吹きかけられれば、誓言を守るため命まで断つ羽目になるやも知れぬ。ありがたや、さいわい難なく取り戻せたわい」
 だが狗雑種の願いを聞かなければならない羽目になる。しかし、狗雑種は願いを言わないため、摩天崖に連れて行く。
 摩天崖では、狗雑種は、「いなくなった母を捜しに出て、犬も戻ってこないので、探している」と言う。
 謝煙客は、(母親を捜せの犬を探せのと言われたら厄介だ。…そんな難題を吹っかけられるくらいなら…)。…は略した。
 こう読んでみると謝煙客は、武林の問題なら史上屈指の有能者だが、民間の問題なら人並みではないかと思える。おそらく、最初に三枚の玄鉄令を出したときは、民間の問題は考えていなかったのではないか。

 玄鉄令については、これ以上の言及は見つからない。
 
  参考 書庫−侠客行
posted by たくせん(謫仙) at 07:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 侠客行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

賞善罰悪使

2009.4.4 記
2021.6.4 一部訂正追加

 侠客行で、玄鉄令とならぶもうひとつの謎が賞善罰悪使の能力。
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 十年ごとに来る侠客島よりの招待。間もなく四回目の招待が近い。招待されるのは武林各派の総帥。招待の使者は、張三李四の二人、賞善罰悪使という。
 狗雑種は鉄叉会と飛魚幇の全滅の様子を見ている。
 狗雑種は張三李四と義兄弟になったあとで、石清に説明される。(第二巻P222〜)
「三十年前、武林中で大きな門派幇会の頭が、突然、相次いで招待状を受け取った。十二月八日、南海の侠客島で朧八粥の宴においで頂きたいとな」
 銅牌と招待状をもたらしたのは二人の少年だった。張三李四ではないかと思われるが断定していない。招きに応じない者は直ちに殺されてしまった。そのような事件があちこちで起こった。
 一年の間に、彼らの手にかかった者は十四人、宴に赴いたのが三十七人。
 十年後(つまり二十年前)、わずか十日あまりで拒んだ門派を三つ、幇会を二つあわせて数百人を皆殺しにしてのけた。銅牌をばらまき続け、拒否した者は、必ずその魔手に倒れた。結局侠客島へ渡ったのは四十八人。
 さらに十年後、力を合わせて武林の害を取り除こうと、一人も逆らわず五十三人が侠客島に渡った。しかし侠客島に渡った者は帰ってこない。

 ここまではあくまでも石清の説明による。
 全てが張三李四の二人でやったとは言いきれないが、その他の使者がいたとも思えない。そしてこれは説明であり、地の文ではない。

 第三巻P36で張三李四が登場すると、
 人相風体は三十年来、武林の心胆を寒からしめた善悪二使そのもの。一様に背筋が凍り…
 この二人にそっくりな人相風体の別な善悪二使がいたとは考えにくい。

 P183では、史婆婆が幇の頭を譲れとせまると、そばで聞いていた、侠客島の迎えが、
「長楽幇の頭は二十過ぎの若者、ご高齢にして徳高き女性ではないと賞善罰悪二使はたしかに申しておりましたが」
 と、建前は賞善罰悪使はふたり。

 一同侠客島に行くと、広間に入る。龍島主と木島主を紹介され、それに弟子たちも二列に別れて入ってきた。
P193
 銅牌を配って回った賞善罰悪使者もその中に入っていた。黄の衣の張三は右の十一番目、青い衣の李四が左の十三番目、かれらの後にさらに二十人あまりが続く。人々は冷水を浴びた心地がした。張三と李四の腕前は、皆が目の当たりにしているが、他にも多くの同門がいるとは意外だった。おそらく腕も似たり寄ったりだろう。
(……、他の連中はさておき、善悪二使だけを相手にしても、二十手と立ち会える者はいくらもおるまい)

と、皆が賞善罰悪使者は張三と李四の二人だと思っている。

P209
 二島主は、賞善罰悪簿を皆に見せて、
「我らは手下を使わして、江湖の消息を集めておるが、…。…滅ぼした門派幇会は、いずれも許し難い悪行三昧の輩。…」
 そして証拠書類も見せる。
 頁を繰るうちに「可殺」の朱筆の文字が五六十カ所あり、張三李四の筆と知る。
 と、これらを「可殺」と記録したのは張三李四である。本文の記録者は不明。疑問がないところを見ると皆が張三李四と思っているか。

 石清の説明とこの四例が賞善罰悪使の説明のほとんど。
 結論として、賞善罰悪使は張三と李四の二人だけ。「手下を使わして」の文字をどう解釈するか。わたしは今まで張三と李四の二人と思っていたが、それ以外に表に出ない多くの人がいたと解釈すべきか。話の様子では侠客島の従者はここにいる人がほとんどらしい。
 それ以外に各地に散らばり探偵をしている人がいないとは断定できないが、いる気配はない。
 ただし、調査係がいないと、不可能だけに、どこかに匂わさなければいけないと思う。
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2021年04月11日

如懿伝

2020.8.5記
2021.4.11追記

如懿伝 (2017)
日本名 如懿伝〜紫禁城に散る宿命の王妃〜

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 瓔珞の嫻妃(継皇后)から見た宮廷物語である。瓔珞でも書いたが、正しくは皇妃。
 主人公の如懿(青桜)役は周迅。あの射G英雄伝(2003)の黄蓉だ。1974年10月18日生まれ、撮影の時は43歳か。これで少女役。
 低くかすれた声(ハスキーボイスという人もいる)は今でも同じだった。
 始めは乾隆帝がまだ宝親王だったときから。宝親王の妻妾選びである。そして乾隆帝となり、紫禁城の後宮に移る。
 後宮内の地理は正確ではない。たとえば皇帝が養心殿から東の延禧宮に行こうとするとき、北の咸福宮の前を通る。かりに咸福宮が延禧宮への途中にあったら、咸福宮の門は左手にあるはず。ところが右手にある。左右が逆であるとか。似たようなことは他でもあった。
 人名も瓔珞とはかなり異なる。こだわっても仕方ないが、つい、この人は瓔珞のあの人に相当などと思ってしまう。
 元々架空の王朝物語を、乾隆帝の時代に設定し直したため、あちこちに無理があるようだ。

 第26回では、葉赫那拉(エホナラ)氏が登場し、李清照の「酔花陰」を歌い舞う場面がある。南宋の詞である。有名な詞であるが、古い曲が残っていたか、後に新たに作曲されたのか気になるところ。
 高晞月の慧貴妃が失脚するところまできた。事実上自分が殺した女の幽霊を見せられる。悪事が重なって露見するところだ。
(ある女に悪事をさせ、ばれたら、「あなたの家族は、私の実家で保護している。あなたの言葉によっては死に絶えるかも」と白状しないように脅す。女は自決する)
 慧貴妃は実家が有力者なため、皇后に次ぐ貴妃となったのだが、みんな貴妃という位と実家の実力に畏まっているのであって、高晞月を敬ってはいない。それを自覚していない事が悲劇を招くことになった。
 ついでに言うと、皇后は地位を守ることに汲々としている。かなり知恵があるが、小心者であるため、バレはしないかと侍婢に相談するほど。そして身を滅ぼすことになる。

 このところ、続けて後宮物を見ている。そこでは大事な秘密の話を、大勢の宮女や宦官に聞こえるところで話す。どうやって○○をはめようとか、いじめようか、どんな毒を盛ろうとか、などという話をするのだ。お約束とはいえ、気になってしまう。おそらく秘密が漏れたら、漏らした人物を消してしまうのだろう。そしておとがめはない。そのことが知れ渡っていて、皆が口を閉ざしていると思われる。しかし、スパイ役もいるのだ。万一の時も口を閉ざしてくれる保証はない。もう少し気を遣えよ、と思うのだ。
 もっとも、そう易々と人を殺すような主の噂は、女官や宦官に知れ渡っているので、仕えるのを嫌がられるのが、ブレーキになっているか。あるいは、善悪にかかわらず、主のことを話すと死ぬことになるとか。
 もっとも、女官や宦官は一緒になって、大声で噂話をしている。このあたりは“お約束”なんだろうな。

‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
 第26回では、葉赫那拉・意歓(エホナラ氏)が登場し、李清照の「酔花陰」を歌う。
 第57回では、葉赫那拉・意歓は、自死する前に酔花陰を歌う。
 
  薄霧濃雲愁永晝   薄い霧 濃い雲 永き昼を愁い
 これを
  薄霧(うすぎり) 濃雲(こぐも) 永き晝(え)を愁(うれ)い
 としている。

 問題は 晝(ひる)と畫(え)を間違えているところ。
 李清照の詞の一部なので、「永き晝(え)」はおかしいと気づきそうなもの。
 晝は「ひる」なのに「え」と読んだため、文字の違いに気づかなかったらしい。
 揚げ足取りをしているようで気が引けるが…


 格格は皇族の姫のことだが、親王の妻妾にも使う。親王の妻妾は
     格格 → 庶福晋 → 側福晋 → 嫡福晋
 格格や福晋は満州語。
 清朝の話は、この満州語があるので気を遣う。たとえば皇帝の姓、愛新覚羅をどう読むか。わたしはアイシンギョロと読む。皇后富察はフチャと読む。これなど知らなければ読めない。
 福晋や側福晋をそのまま使っている。漢語に翻訳はしない。漢語と満州語が混じることになる。

 岡崎由美さんは金庸小説の翻訳で、金の趙王の完顔洪烈に「ワンヤンこうれつ」とかなを振っている。本来ワンヤンだが、完顔の字を当てた。洪烈は漢字で洪烈という名をつけた。だから読みは「こうれつ」と、使い分けている。
 テムジンのちのジンギスカンは、原文は鉄木真と思われるが、カタカナ表記にしている。

 音が先か文字が先か。作家の「田 郁」は「かおる」と読む。「かおる」と読むからと薫などと書いてはいけない。菊池寛は「きくちひろし」だがカンと読まれても問題にしなかった。しかし菊地と書かれたらカンカンに怒ったという。
 もっとも将来はどうなるのだろう。王という人がいるが「おうさん」と呼ぶべきか「ワンさん」とよぶべきか。わたしはかながあればかなに沿って、かながなければ普通の日本語読みにしている。身近な人なら本人に訊くだろうな。
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2020年07月23日

錦綉未央

錦綉未央
日本名 (王女未央BIOU)
   2017.12.29.jpg

2018年01月06日 記
2020年07月23日 改訂
 
 このドラマは武侠ではなく、時代劇である。全54回。
 だだし第一回目をはじめ、時々武侠場面がある。空中浮揚あり、空を飛ぶシーンがある。それゆえ武侠に分類する。

 中国の南北朝時代の北朝の物語である。北涼(439年に亡国)の王女であった馮心児(ふう・しんじ)が、行き倒れていたところ、李未央(り・びおう)に助けられる。
 李未央は同家の李敏峰の放った暗殺者に殺されてしまう。
 馮心児は李未央の仇討ちのため、さらに叱雲南(しつうん・なん)に一族を殺された復讐を果たすため、旧敵国の宮廷へ、有力者の李家へ李未央になりすまして入る。
 李敏峰を除くことに成功。李家の力が弱まったあたりで、叱雲家(李家当主の妻の実家)の南が登場、これこそ目指す北涼の仇だった。だが南の後ろには真の仇がいた。
 第30回あたりで、李未央の正体をかなりの人が知るようになる。
 皇帝家拓跋(たくばつ)氏の次代を巡る争い。さらに未央(馮心児)も含む李家の娘たちを巻き込んだ愛憎劇。それらの問題を克服して、馮心児は皇后の座を勝ち取っていく宮廷歴史ドラマ。
 北魏は拓跋(たくばつ)氏の国である。名から判るように塞外民族である。

 北涼が滅びるところから物語は始まる。
 はじめに事故で多くの天灯(灯籠)が浮かび上がってしまうシーンがある。馮心児はそれを捕ろうと二階ほどの高さまで飛び上がり、さらに横に動いたりする。空中浮揚だ。
 わたしは「武侠ドラマ」とは、武侠の本来の意味に加えて、時代SFでもあると思っている。エスパーの超能力の戦いだ。だから馮心児は、空中を飛ぶことができるエスパーと思った。こういう設定の武侠物かと思っていたら、後は普通のドラマだった。そんな能力があるなら、いくつかの危機は乗り越えられたはず。
同じように能力者が多く、これはエスパーだという場面も多いが、武闘場面を強調しただけで、話の本筋を変えるほどではない。
 さらにいえば、武侠物の戦いのシーンは、迫力があってもあまり興味は無い。なぜ戦いになったのか。避けられなかったのか。結果はどうなったのか。それが後にどんな影響を及ぼすのか。それらのことに関心がある。
 特に、能力と行動に矛盾はないか。例えば30メートル跳べる人が、肝心なところで10メートルを跳べない、などということはないか。場面によって設定を変えていないかは気にする。

 未央の読みだが、中国語ではwèi yāng (wei4 yang1)しか出てこない。どうして「BIOUびおう」となったのだろう。
 「びおうさま」もほとんどは「小姐xiao3 jie3」であり、「未央殿」は「未央姑娘wei4 yang1 gu1 niáng2」であり、biouは出てこない。未を「び」と読む例を探したら未央柳(ビヨウやなぎ、ビオウではなくビヨウ)の例があった。美容柳のこと。(もっとも美容柳は別名で未央柳が本名)未央柳は「柳」までそろってはじめてビヨウと読めるのではないか。
(このことについて下のコメントを見てください。未央をビオウと読む例が古くからありました。昔はそう読んだのか。漢和大字典では例外的に「未央」の場合だけ「ビ」と読む例が例が載っています)
 それからいつも桜(のような花)が満開で、銀杏(のような葉が)が紅葉(黄色です)しているのが気に掛かる。

 439年に北涼が滅んで、この頃から南北朝時代(439−589)になる。
 北朝は鮮卑拓跋部の魏(北魏)が386年−534年。
 このドラマの時代は第三代の世祖太武帝(拓跋Z(とう)、在位423−452)の時代である。
 太武帝は華北を統一した。北涼が滅んだのもこのとき。
 初代太祖道武帝、二代太宗明元帝につづき、三代目になる。
 第三代太武帝の孫の拓跋濬(しゅん、第四代文成帝、在位452−465)と未央の出会いから、複雑ないきさつをえて文成帝が即位するまでの物語。(第五代献文帝の即位までもあるが)
 未央が「濬」を筆で書くとき、「浚」と書く。これは代用する習慣があったか。ただし勅令などは「濬」を使っている。

 歴史では、南安隠王(拓跋余、在位:452)が第4代であるが、在位は1年に満たず、帝号はない。だから、拓跋濬(在位452−465)は第5代であるが第四代文成帝とされる。

 創作された物語なので、歴史として引用するときは注意が必要。もっとも歴史も「勝者が自分の思うように書く」ので正しいわけではない。
 すでに亡くなっていた濬の父は景穆帝と追号されているが、代数には入らない。
 物語の後、文成帝の没後に第五代献文帝が即位し、未央(馮心児ふう・しんじ)は馮太后と呼ばれることになる。
 献文帝(在位465−471)は幼帝であったので、母(義母)の馮太后に実権があった。なお、馮太后が献文帝を毒殺したという。
 いろいろ調べていると、死の順序や各皇子の性格など、この物語とはかなり様相が異なる。この当時南朝は宋であるが、趙匡胤の宋とは違うので注意。
 撮影場所は横店の秦王宮(撮影所)が使われている。

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 太極殿や、脇の渡り廊下が盛り上がった場所など何度も出てくる。

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 この物見櫓のような建物も特徴がある。

参考 南北朝時代
posted by たくせん(謫仙) at 10:03| Comment(2) | 武侠世界 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年05月30日

瓔珞(エイラク)

瓔珞(エイラク)〜紫禁城に燃ゆる逆襲の王妃〜
原題 延禧攻略  全70話(2018)

2020.3.2 記
2020.5.30 加筆

   2020.2.21.1.jpg

 清朝乾隆帝の時代。後宮では陰謀が渦巻いていた。ほとんどの話は創作と思われるが、どこまで本当か気になってしまう。なお王妃ではなく皇妃である。

 皇后は富察(フチャ)氏であるが、子を亡くして失意の底にあり、高貴妃(こうきひ)が寵愛されていた。寵愛を受けると、事実上の権力も移る。問題は女官の生殺与奪の権力まであることだ。理由は適当でよい。まるで戦国時代だ。
 ここに新米の女官として魏瓔珞(ぎえいらく)が入ってくる。亡くなった姉の死の原因を探る。その間にいろいろといじめを受けるが、常にそれを上回る知略で、相手を追い詰めていく逆転劇が痛快である。
 倍返しだとは言わないが、女性版“半沢直樹”だ。
 高貴妃や皇后など、高位の女性が次々と陰謀で死んでいく。多くの女官や宦官の死はペットの死と同じで、問題にもならない。清の最盛期の乾隆帝の時代なのに、後宮はけっこうお粗末。
 魏瓔珞のモデルは魏佳氏の令皇貴妃で、名は不明。没後、子の永琰が皇太子に立てられたことで孝儀(純)皇后と追贈された。四子二女とこどもに恵まれる。
   貴人→嬪→妃→貴妃→皇貴妃
 皇后富察(フチャ)氏の女官になる。魏佳氏が貴人→嬪になってから皇后富察氏は亡くなるが、この物語では富察氏の死後に嬪になる。

 悪辣な継皇后ホイファナラ氏(輝発那拉氏)をどう追い詰めるか、が後半の興味の中心になっている。史実では継皇后ホイファナラ氏は後に廃される。原因は不詳。
 物語では、ホイファナラ氏はまともで従順だったが、間接的に高貴妃によって、両親と兄が死ぬことになり、いつか心を鬼にする。

 一時、順嬪が登場して、問題を起こし、それを継皇后が利用するが、苦心の末解決する。そして瓔珞は身ごもる。そして継皇后と休戦協定を結ぶ。
 継皇后は人を巧みにそそのかすが、決して自らは手を下さないため、10年以上にわたって後宮は平和を維持することになる。
 十五男:永琰(嘉慶帝)も生まれ、この頃が「還珠格格」の物語の時代に重なる。

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 乾隆帝の出自は海寧の銭家であるという、そんな俗説がある。金庸小説では、海寧の陳家としている。
  参考 塩官と陳家

 この乾隆帝は一応名君と言われている。しかしこの話の後宮といい、失敗を重ねた遠征も成功と宣伝したり(十全武功)、また、和珅(わこんヘシェン)という貪官を重用したり、けっこう問題も多い。
 嘉慶帝が後を継ぐと和珅の罪を追及した。没収した財産は国家の歳入の十年分以上だったという。これだけ賄賂をむさぼる役人は空前絶後であろう。乾隆帝の時代はそんな問題の多い時代である。
 乾隆帝の浪費がたたって(?)、清は衰退に向かう。

 続いて、後宮の地図を載せたが、この様子が判らないと、物語の意味が判りにくいから。AからBに行くとき、途中で寄り道してCに行くことがある。寄り道できる場所なのか気になることがある。
    紫禁城 後宮見取り図

   魏佳氏(ウェイギャ氏) 略歴
雍正 5年(1727)魏佳氏出生、乾隆帝16歳。
乾隆10年(1745)正月23日魏貴人となる。11月17日令嬪となる。
  乾隆13年 3月11日、富察皇后死去。
乾隆13年(1748)5月、令妃となる。
乾隆22年(1757)正月、南巡に同行。
乾隆24年(1759)11月20日、令貴妃となる。
乾隆25年(1760)10月6日、令貴妃は皇十五子の永琰(えいえん)出生。後の嘉慶帝である。
乾隆27年(1762)正月、南巡に同行。
乾隆30年(1765)正月15日,南巡に同行。5月10日,皇貴妃となる。
  乾隆30年 継皇后ホイファナラ氏(輝発那拉氏)江南で皇帝の怒りを買う。
  乾隆31年 継皇后 死去。
乾隆36年(1771)2月、泰山及曲阜に同行。
乾隆38年(1773)冬至,13歳の永琰が皇太子になる。ただし清朝では発表しない。
乾隆40年(1775)正月29日、死去、49歳。10月26日,金棺奉安裕陵。
乾隆60年(1795)9月3日、永琰を皇太子とし(発表か)、母の魏佳氏は孝儀純皇后に追封される。

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このドラマに対する、びっくりするほどの細かい考察を見た。
宣和堂遺事
延禧攻略の小ネタ(宮訓圖十二幀と遮陰侯)https://sengna.com/2020/05/03/yanxi1/
延禧攻略の小ネタ2(オシャン収賄事件)https://sengna.com/2020/05/10/yanxi2/
延禧攻略の小ネタ3(茘枝、清朝と犬)https://sengna.com/2020/05/16/yanxi3/
延禧攻略の小ネタ4 吃肉分福と怡僖親王・弘暁 https://sengna.com/2020/05/24/yanxi4/

 宣和堂遺事は目次がないため、いままでどんなことを書いていたか判らないが、中国史の細かいことを知ろうとすると検索に出てくるので、注目しているブログだ。
posted by たくせん(謫仙) at 09:49| Comment(0) | 武侠世界 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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