2019年08月29日

周伯通の年齢

2013.3.10記
2019.8.29改訂

周伯通(老頑童)の年齢

 女の子と老人が元気な金庸小説でも周伯通はきわだつ。老頑童といわれ、誰にでも好かれる人物だ。
 老頑童は関西弁を話す。これで江南なまりをあらわすが、他に関西弁は天龍八部の阿碧たちぐらいか。
 岡崎さんは「わたしの手元に翻訳原稿が上がってきたとき、関西弁になっていて、それが大変おもしろかったので、そのまま使うことにした」と言っていた。
 少し智慧が足りないようだが、精神構造が子どものまま大人になったと考えれば判りやすい。もちろん文字は読めるし知識もある。それなりに頭はよい。武術は超一流。郭靖のことを「アホや」と言うが、その郭靖が老頑童をなんとかあやしている感じだ。
 ここの西暦は計算のための目安である。金庸小説では、年齢は満年齢を使っている。また、当時の年の切り替えは西暦とは一ヶ月以上ずれていて、年数は切り上げ切り捨てがあり正確ではない。1〜2年ずれることがある。しかも史実とは大きくずれる。

以下4行は史実。
全真教の開祖王重陽(1112〜1170)の享年は五十九くらい。
1164 王重陽は活死人墓を作り、そこで修行をはじめる。
1167 活死人墓を出る。3年ほど活死人墓にいた。
1170 死去。58歳か。

   …………………………
 以下は小説、射G英雄伝と神G侠侶(神G剣侠)より
1199慶元五年秋、射G英雄伝が始まる。これを基準とする。

郭靖が17歳(秋には18歳になる)のとき、桃花島で周伯通(老頑童)と出会う。そして
☆周伯通は、「王重陽が出家する前からいい友だちであった」と言う。(射G英雄伝)
九十にもなろうという老人の、あまりにも素早い身のこなしに、趙志敬は舌を巻いた。(神G、文庫第四巻、P9)
☆第五巻「めぐり逢い」では、「開慶元年」に話が始まる。この年、郭襄16歳の誕生日、再び襄陽城の戦いが起こる。周伯通106歳(90+16)
☆第五巻P120では、「百歳近くになっても矍鑠としている」とあり、百歳前の扱い。

 老頑童の年齢についてはこの五行が手かがりである。王重陽はいろいろと数字があるため、比較しながら老頑童の年齢を考察した。王重陽の年齢は変えても矛盾しないが、このままで58歳で亡くなったとする。
 活死人墓に入ったのは、史実では52歳のとき。小説では逆算して、26歳のとき。
  
1150 周伯通の誕生。慶元五年(1199)から逆算する。
1153 開慶元年(1259)に106歳とすればこの年誕生だが、この説は採らない。(開慶元年は一カ所で、その他はすべて慶元五年を基にしている)
1160 (周伯通10歳)

1167(慶元五年秋から逆算、王重陽26歳・周伯通17歳)
 王重陽は活死人墓を作り、そこで修行をはじめる。8年間。
1170(周伯通20歳)

1175(王重陽34歳・周伯通25歳)
 古墓派の開祖である林朝英が古墓に入る。林朝英が死去する十年余前。(文庫本第一巻P208)
 全真教の開祖王重陽は古墓を出る。出家して道観(重陽宮の前身)を建てる。
 周伯通はこの(出家して道観を建てる)前からの付き合いということになる。
1180(周伯通30歳)

1185(王重陽44歳・周伯通35歳)
 林朝英が死去。第一次華山論剣の13年前。(文庫本第一巻P364)

     ……… ここまでは神G侠侶の話、以下は射G英雄伝の話 ………

1190(王重陽49歳・周伯通40歳)
1197(王重陽56歳・周伯通47歳)
 王重陽と周伯通は大理に行く。ここで周伯通と劉貴妃との間に子ができる。これが周伯通の生涯の汚点となる。劉貴妃に頭が上がらなくなっていつも逃げている。第一次華山論剣の1年前

1198(王重陽57歳・周伯通48歳)郭靖と黄蓉が出会う20年前
 第一次華山論剣。王重陽が勝ち九陰真経を得る。

1199(王重陽58歳・周伯通49歳)
 ★慶元五年秋、射G英雄伝の始まり。高宗即位後72年目になる。
 冬、丘処機が杭州郊外牛家村に現れ、郭嘯天と楊鉄心と知り合う。
 第一次華山論剣の翌年、王重陽亡くなる。(第4巻雲南大理の帝王)
★この年表はこれを基準にしている。射G英雄伝で年号がはっきり書かれているのはここだけ。
 周伯通、王重陽の死後「九陰真経」の下巻を黄薬師に騙し取られる。その後5年修行し、桃花島に行き、洞窟に閉じこめられる。

1200(周伯通50歳)
 牛家村が襲われ、郭嘯天が殺される。
 李萍は段天徳に掠われ北京まで行き、さらに蒙古行きの荷物運びにされ、結果蒙古に逃れ、九月には郭靖を出産する。包惜弱は金の趙王に掠われ、金で楊康を出産する。

1203(周伯通53歳)
 王重陽の死後5年であるが、実際は4年あまりと思われる。
 黄蓉生まれる。黄蓉の母は亡くなる。
 周伯通、桃花島の洞窟に閉じこめられる。15年間閉じこめられ郭靖と会うことになる。

1210(周伯通60歳)

1218(周伯通68歳、郭靖18歳(秋に18歳)、黄蓉15歳)
 牛家村が襲われてから18年後。周伯通が閉じ込められてから15年後
 郭靖と黄蓉は嘉興に向かう。時は旧暦の六月。
 続いて二人は桃花島へ渡る。郭靖ははぐれてしまい、周伯通と出会う。周伯通の年齢は不明だが、老人という。
 第一次華山論剣の翌年に王重陽が亡くなり、周伯通は5年の修行ののち、15年間桃花島の洞窟に閉じこめられた。単純合計では華山論剣から21年後だが、20年後。

 周伯通の言葉「わいと王の兄貴とは古いつきあいでな、兄貴が出家する前からもうええ友だちだった。…」。幼友達ではないようだ。
 この時の周伯通の年齢は、王重陽の9歳下の68歳あたりとすると計算が合う。王重陽は58歳で亡くなったが、小説では年齢不明。
 王重陽は出家の前8年間は活死人墓で修行していたので、周伯通とのつきあいは26歳より若いとき。周伯通は17歳以前。いい友だちだったというが、少年時代のつきあい。
 王重陽が活死人墓を出てから出家するまで少し時間があるが、その間にいい友だちになったとも考えられる。ただし王重陽は林朝英と江湖を旅していたので、可能性は小さい。

1220(周伯通70歳)
 楊過誕生。
 第一次華山論剣の22年後。
 第二次華山論剣。第一次の25年後の1223年に開かれるはずだった。年数に3年の差がある。金庸の計算違いか。

     ……… 以下は神G侠侶の話 ………

1240(周伯通90歳)
 第二次華山論剣から20年後(と計算)、襄陽城の戦い。郭襄生まれる。この年楊過20歳。
 九十にもなろうという老人の、あまりにも素早い身のこなしに、趙志敬は舌を巻いた。(文庫第四巻、P9)。

1256 (周伯通106歳、楊過36歳、郭襄16歳、郭芙32歳)
 16年後、再び襄陽城の戦いが起こる。慶元五年秋から57年後。

1259(周伯通106歳、楊過36歳、郭襄16歳、郭芙32歳)
 第五巻「めぐり逢い」では、再び襄陽城の戦いが起こるのは 開慶元年(1259)としている。
 慶元五年秋から60年後。射G英雄伝と通算すれば3年の差がある。2回の論剣の差3年が、ここで調整されることになる。

1257〜1259 は無かったことに(^_^)。1256と1259を同じ年とすればこの世界が成り立つ。

 120頁では「百歳近くになっても矍鑠としている」とあり、百歳前の扱い。
 279頁では金輪法王の台詞に郭芙35歳としているが、それなら生まれは第二次論剣の翌年となり楊過より一歳年下。第二次論剣の数年後に懐妊なので矛盾する。32歳とすべき。これは金輪法王の間違いとするか。
 330頁には楊過36歳とある。だから1256年でなければならない。

 開慶元年(1259)を基準にすれば3年ずれる。第一次論剣以降の出来事は全て3年遅くして、第一次と第二次の間を25年にすれば整合性がとれる。
 そのためには何度も出てくる、「20年前」などという台詞を「23年前」に変更しなくてはいけない。また射G英雄伝の始まりを「慶元五年秋」の3年後とすることになる。これは基準で変えられない。そこで、それまでの出来事はそのままにし第五巻を開慶元年の3年前として年表を作成した。

 モンケが亡くなったのが開慶元年なので、小説上でも、襄陽城の戦いを開慶元年にしないわけにはいかなかったか。

 別記の 古墓派の年表 では、第一次論剣と第二次論剣の間を25年としている。

     ……… 次は倚天屠龍記の話 ………

 倚天屠龍記では、
1259 襄陽城の戦いのあと、郭襄が流浪の旅に出て、襄陽城の戦いの3年後に、少林寺の近くで、周伯通の名を出す場面がある。
 してみると、109歳までは生存していたことが確認される。
posted by たくせん(謫仙) at 07:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 射G英雄伝 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年08月04日

大玉児伝奇

大玉児伝奇 邦題/皇后の記

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 大清建国の物語である。そして中心となるのは摂政王ドルゴンである。
 ドルゴンは初代ヌルハチの息子であった。
 ドルゴンは恋人玉児との仲を裂かれ、玉児はホンタイジに嫁す。ホンタイジの死後、ドルゴンは、ホンタイジと玉児の息子フリンの後見として、一生を玉児のために捧げてしまう。それでも晩年(三十代後半)は暴君に近い。
 仲を裂かれたとき、ドルゴン数え十四歳、玉児は数え十三歳。現実感が薄い。その前に数え十四歳のドルゴンが、現代なら小学生か中学生かという歳で、戦場で兄を助けて大活躍。否定できる材料は持っていないが、これも伝奇かな。

 ヌルハチ、ホンタイジ、ドルゴンと優れた人材がいたが、多くの人は他民族統治の意味が理解出来ない。ドルゴンの兄弟たちは、草原でトップを争った意識を、北京まで持ってきていて、隙あらばクーデターを起こしてドルゴンを皇帝にしようとする。そうしてあちこちでドルゴンの足を引っ張る。
 また、本来なら皇太子ような位置にいるはずのホーゲさえ、漢土への進出を、盗賊が荒らしに来た程度にしか考えていない。民家に優れた物があれば、当然のごとく没収する。そのために漢土を征服したと思っている。
 いくら玉児やドルゴンたちが、国家経営の構想を描いても、実力者が国家家経営の意味を理解出来ず、略奪を繰り返す。それが自分の権利だと思っているのだ。それが統治の足を引っ張る。
 そんななかで、なんとか建国し、ドルゴンは死に、三代皇帝フリンに引き継ぐ。全50回のドラマで、ここまで46回。
 それから康煕帝の成長までが、玉児(孝荘文皇后)の出番なのだが、皇帝フリンの成長まで3回。最後の1回はフリンの出家と康煕帝即位で終わる。
 ちょっと物足りない。

 ところで玉児の名だが、どうもしっくりしない。漢語で玉児の読みがyùér (ユアル)なのだ。名はブムブタイ(布木布泰)。玉児の名はどこから?
 ヌルハチ(努爾哈赤)、ホンタイジ(皇太極)、フリン(福臨)、ドルゴン(多爾袞)など、みな清建国前の満州語なのだ。
 玉児の名に限らず、多くのことが、史実から外れているように思える。創作部分が多いと思える。
 フリンの董鄂妃は江南地方育ちである。弟の嫁を奪った。そのため弟は自殺してしまう。この辺りは、きれい事で済ますことはしていない。
 前に紹介した 多情江山 とはあまりに違いすぎる。
 多情江山よりはかなり史実に近そうだ。そうはいっても、これは大玉児伝奇の題の通り、伝奇として見るべきだろう。

 玉児役の俳優「景甜」は、中国一の美人だという。個人的な感想だが、あまりに顎が細く、人形のようだ。
 かなり前、数代先の人相として、柔らかいものばかり食べているので、顎の発達がなく、細くなるというSF的な予想があった。その見本の顔がすでに実現していた。
 また玉児をはじめ一部の女性たちの顔は、白塗りで血色が全く無く、不気味である。そんな化粧が当時の化粧法だったのだろうか。あるいは撮影当時のはやりの化粧法だったのか。白塗りは全編ではなく、一部分では少し血色があるにしても。
 
   ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥

孝荘文皇后
年号と西暦では一ヶ月以上のずれがあるので、差が生じることがある。年齢は数え年てある。
1613年     出生
1625年13歳 ホンタイジの側室となる。
1638年26歳 フリン(順治帝)を出産
1643年31歳 ホンタイジ死去
          順治帝即位6歳 ドルゴン摂政
1650年38歳 ドルゴン39歳死去
1651年    順治帝13歳 親政
1656年     順治帝18歳 最愛の満州族の董鄂氏入宮。
         董鄂氏はドラマでは漢族 江南の人
1660年    董鄂氏第四皇子出産、第四皇子と董鄂氏死去
1661年49歳 順治帝24歳死去
 (ドラマでは第四皇子出産、続いて第四皇子と董鄂氏死去、順治帝出家)
         康煕帝即位
1688年75歳 死去
posted by たくせん(謫仙) at 11:53| Comment(4) | 武侠世界 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年07月28日

木府風雲

木府風雲
   絢爛たる一族 〜華と乱〜

 面白いドラマだった。武侠ではないがこちらにする。2012年作。
 武侠ではないとは、たとえば定番の空中浮揚が出てこないなど。

 世界遺産となった雲南の麗江を舞台にした物語である。木府はその地の支配者の住む、そして政治の中心となる所だ。現在そこに木府が再建され、わたしは旅行で行ったことがある。
 金庸小説では「沐府」の名で出てくる。

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 わたしは初め風伝(ふうでん)と読んでしまった。(^_^)
 安倍首相が、云々(うんぬん)を「でんでん」と読んだのを嗤えません。

 時代は明代末期。
 主人公の阿勒邱(あろくきゅう)は、滅ぼされた一族の復讐のため、叔父と言う西和によって、幼いとき木府に送り込まれ、侍女として住み着く。西和の目的は木府を滅ぼすことだが、しかし、阿勒邱は善良で賢く、木府を滅ぼそうとは思っていない。西和の陰謀に巻き込まれただけだ。
 少し猫背のせいか、常に頭を低くして畏まっているイメージだ。歩くときも前屈み。そして権力者に囲まれて、怯えたように緊張している。この微妙な表情がうまい。もちろん緊張が解けた時は表情が違う。
 大勢のエキストラは、地元の人たちのいつもの生活をそのまま利用しているようで、(四方街の)ダンスのシーンなど、麗江のいつものシーンそのままだ。服装は今も着ている民族衣装だ。そのままではなく昔風に変えていると思うが。
 そして麗江は水の都。至る所にきれいな水が流れていて、そのまま上水として使えるほど。わたしは食器を洗っているのを見たことがある。撮影された橋や建物など、わたしも見たことのある場所が多い。
 清潔感のある、美しい石畳の町並みと玉龍雪山などの景色。
 山に囲まれているため、通る道は限られているので、城壁のいらない城市、それでも城門はある。
 洪武帝に木氏が土司に任じられて以来、木府も少しづつ充実してきたが、このドラマの時代の明朝末期の建物は、再建された今の建物とはかなり違っていた。
 現在の木府などは再建と新建築によって、映画撮影所のようになっている。特に漢族文化を強調するあまり、あちこちを資料を無視して、漢族風建物に作っている。

 さて第4回、阿雄将軍の台詞
「土司こそ大活躍 先陣を切って多数の敵を葬りました」
おそらく「 屠りました」であろう。言葉は聞き取れないが、字幕なので「葬りました」が浮いてしまう。訳した人が言葉を間違えたのか、字幕を作った人のミスか。
 ナシ語で阿雄将軍が「葬りました」と言ったとは考えにくい。この翻訳の微妙な差は他にもある。
 ドラマの原文は漢語だが、本来「ナシ語」であるから、ナシ語を漢語に訳した形をとるだろう。そこには多少ナシ族の言葉の習慣が入るかもしれない。それを日本語に訳す。
「土司」という言葉。聞いていると「土司大人」と言っている。土司は漢人が地方に根付いた「司」を言った言葉。対する言葉は任地が転々と変わる「流官」(ウィキによる)。
 目下が「土司」と呼ぶのは違和感がある。「土司大人」なら違和感はない。だがナシ語ではどうか。
 門には「木王府」とある。明がこの文字を許したならば、木王様と呼ばなかったのだろうか。
 また「大明麗江府」という文字が途中で出てくる。大明麗江府が明の正式な名だったのか。

 ナシ族の婚姻は通い婚。すべて女性が取り仕切り、男では借金もできない女性社会。家の出入り口の近くの部屋は、若い女性の部屋なのだ。
 ドラマで町の商人を集めたとき、来たのは男性ばかりで、なんかすっきりしない。男性社会だ。こんな所にも漢族文化の地であったことを強調しているようだ。
 また、正妻と妾の関係など、漢族ならまだしも、ナシ族では信じがたい。
 名目最高権力者は土司だが、事実上は土司夫人が権力者だ。これはこのときの土司夫人が優れた人物だからであって、女性社会だからではないだろう。

 なんて細かいところを取り上げたが、話の展開はスピーディー。飽きさせない。いつも、どうなるのか、どう切り抜けるかと、はらはらのし通し。思わず阿勒邱(あろくきゅう)を応援してしまう。善良で賢いのだが、肝心なときに簡単にだまされる。だまされたふりをする策略と思っていると、だまされただけだった、なんてこともある。
 土司夫婦、その二人の息子夫婦、そのそれそれの息子(土司夫婦の孫、木増・木坤)に阿勒邱が混じる愛憎劇だが、木府の存続を賭けたスケールだ。
 木府は金鉱が主要な産業だが、金鉱を欲しがる山砦の主に、木増は交易権を与え、
「金鉱は枯れるが、交易は永遠につきぬ財源となる」と説く。
 第37回、さらに、木増に漢人(徐弘祖)がさとす。
 金鉱はいつかは必ず枯渇する。永遠に枯れないものとして、文化による繁栄こそ麗江を永遠に支える。
 そして木増の時代に、麗江は最も繁栄をした。
 土司夫妻とその幼い子供が、庶民と一緒に四方街で踊る姿は感動する。

♪ 伝説中有一片浄土  それは遙か昔の物語
  住着古老的民族   楽園に住む人々がいた
  毎箇人都能歌善舞  歌と踊りをこよなく愛し
  他們従来孤独    仲良く暮らしていた
  オーアイヨー アイヨー アイエー 

参考 雲南憧憬 9 麗江
   天龍八部の旅13 麗江古城
posted by たくせん(謫仙) at 17:51| Comment(0) | 武侠世界 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年03月21日

神雕侠侶・新版(于正版神G侠侶)

神雕侠侶・新版(監督:李慧珠)(于正版神G侠侶)

楊過:陳暁
小龍女:陳妍希

神雕侠侶・新版.jpg

 ドラマ「神雕侠侶・新版」を見た。
 旧版(2006年版・張紀中版)についてはいろいろ書いたし、原作小説も紹介してあるので、今回、変った部分や気になった部分を中心に書いてみる。

 まず、原作では略された、あるいは過去の話などを、取り上げているのが目を引く。それらがほとんど余計なのだ。

 李莫愁の古墓での修行時代、小龍女との交流がある。そして陸展元への恋。
 原作では、過去の話として語られるのみ。
 問題は時期である。陸展元に振られてから、古墓に入ったはず。しかも李莫愁が街へ遊びに行くなど、貨幣文化が入っている。そうなると小龍女が20歳になっても、お金の存在を知らないという設定が成り立たない。だからその場面がない。
 東邪や西毒や北丐などの原作にはない昔話も長い。過去の人である独孤求敗の話まである。原作にない、出てくる老人登場人物の過去のロマンスをでっち上げるが、無駄に思える。
 しかし、できは良いので、切り捨てるのは惜しい。わたしのように原作に惚れ込んでいる人とは違って、原作を読んでいない人は、悪くは思わないのではないか。

 ヒロインの小龍女だが、求婚者が集まるのは16歳の誕生日のとき。原作は18歳である。
 
 第7回で李莫愁が小龍女を「16歳にもなっていない娘に酷だと思わない?」 と言うシーンがある。おそらく15歳であろう。そして第8回で丘処機が「今日はその娘の16歳の誕生日」と言う。
 求婚する人が集まるのは、姉弟子の李莫愁のフェイクニュースによるのだが、李莫愁の方が美人なので、設定が成り立ちにくい。だから美人だけでなく、宝があるというフェイクニュースもつけた。

 4歳年下の楊過は12歳になってしまう。4歳年下という説明はないので、何歳に設定したのだろうか。
 それから余計なことだが、古墓派という言葉が多く出てくる。原作では自ら古墓派とは言っていない。楊過を迎えるときも名は無いといった。
 李莫愁が悪さを繰り返したとき、外の人が古墓派と言っただけだ。

 大人になってから、といっても4年後(のはず)だが、年下のはずの武兄弟の方がかなり年上に見える。
 そればかりではない。登場人物の多くが若い。老人の白い頭髪や髭を黒くすれば、そのまま20代で通用しそう。設定を変えたといえばそれまでだが、旧版の重厚さはなくなった。

 例えれば、旧版がプロの演劇なら、新版は大学の演劇部か。

 それだけに(老人たちも演者は若い)武闘シーンは迫力がある。見応えかある。
 全体的に見て、余計な話が多くて、配役と役者が合わない気がする。
 久しぶりに入った古墓の中が多くの蝋燭の光で明るい。人のいない廊下まで明るく照らしている。点したのを省略したにしても、そんなに多くの蝋燭があるのか。点す意味があるのか。旧版では暗闇であった。暗闇なら納得出来るのだが。

 これは承知の上でやっていると思うのだが、絶情谷の状況が異様である。湖が厚い氷で覆われ、人が歩いて渡れるほど。周りの山々は雪と氷で白く閉ざされている。湖から短い氷の道を通り、絶情谷の門から入ると中は情花の咲き乱れる別世界。高さ十メートルほどと思われる石塀の内側が春景色だ。初夏とも見える。閉ざされた世界ではない。門の内外でこれほど変わるはずがない。話題を提供するために、わざとやっているのかな。
 せめて桃源郷のように、トンネルを通って、小さいながら一山超えればよいが、ここは目の前が凍り付いた湖だ。宴会する場所も回廊だけ屋根のついた露天。せめて部屋の中にしてほしい。
 あとは神Gが気になる。身長だけでも楊過の倍はありそう。体積は八倍か。これが羽ばたいて空へ飛び立つのだ。このことは別なところでも書いたが、この大きさではグライダー滑空で飛ぶしかない。17キロくらいのアホウドリでさえ、羽ばたきでは飛べない。ただし、最後まで設定を忘れなかった。これは褒めてよい。
 原作では体が大きく、羽は抜けていて、飛べないことになっている。
 それにしても大きすぎ。旧版でも大きすぎた。
 飛ぶことをいえば、旧版でもそうだったが、ドラマの設定が人が飛びすぎ。達人は簡単に数十メートルくらいの高飛びをする。原作では屋根に飛び上がる程度。問題は、従来は肝心なところで原作に戻ってしまうことだ。ここぞというときに飛べない設定に戻る。これがいつも引っかかっていた。
 今回の新作では、襄陽城のあの郭襄救出の場面まで、設定変更を忘れていなかった。

 小龍女は俗に言う「氷のような女」。孫ばあやが死んでも動じない。
 旧作の劉亦菲の小龍女の場合は、形は動じないようでも優しさが出てしまう。それが金庸先生には不評だったほど。厳しさが求められる。
 新作の小龍女は、はじめからかなり感情が表れて、にっこりしてしまう。とても「氷のような女」ではない。
 かなりに美人だ。特に斜め横から見た顔は美しい。ただ真正面から見ると、下が膨れていて、厳しさがない。他を圧倒するような美人ではない。小龍包などと酷評されているが、わたしは美人だと思う。

 郭芙はかなりの美人だが、頭が足りない人物。しかし新作の郭芙役は、容貌が整っていて、眼光もはっきりして、頭の足りない感じには見えない。それなのに言うことなすこと頭が足りない。違和感がある。いままでこの女優を見たのは、多情江山と錦綉未央だが、どちらも表は一歩も二歩も引いていて、実は裏で陰険な陰謀を企てる役だった。その記憶がわたしにあるせいか。
 郭襄役は好評だ。16歳の年齢らしい。違和感が全く無い。姉の郭芙が両親の七光りで威張っているのを、恥ずかしいと感じる感性が光る。

 そして最後の襄陽城の戦いは、楊過と小龍女が神Gに乗って登場する。神Gが空を飛べることにした設定を忘れていなかった。
 問題は襄陽城だ。広い平野の中の大河漢水と堀に囲まれた街のはずだが、ドラマでは両側を山に挟まれた、ダムのような形の城壁。これなら大軍で山道を作れば簡単に破れそう。襄陽城のイメージが違う。

 そして華山の新五絶選び、郭襄の言葉で終わる。

   相思相見知何日 此時此夜難為情
(相い思い相い見ゆるは何れの日か知らん、此の時此の夜情為し難し)
posted by たくせん(謫仙) at 10:46| Comment(0) | 神G侠侶 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年12月27日

錦綉未央

錦綉未央
日本名 (王女未央BIOU)
   2017.12.29.jpg

2018年01月06日 記
2018年12月27日 改訂
 
 このドラマは武侠ではなく、時代劇である。全54回。


 中国の南北朝時代の北朝の物語である。北涼(439年に亡国)の王女であった馮心児(ふう・しんじ)が、行き倒れていたところ、李未央(り・びおう)に助けられる。
 李未央は同家の李敏峰の放った暗殺者に殺されてしまう。
 馮心児は李未央の仇討ちのため、さらに叱雲南(しつうん・なん)に一族を殺された復讐を果たすため、旧敵国の宮廷へ、有力者の李家へ李未央になりすまして入る。
 李敏峰を除くことに成功。李家の力が弱まったあたりで、叱雲家(李家当主の妻の実家)の南が登場、これこそ目指す北涼の仇だった。だが南の後ろには真の仇がいた。
 第30回あたりで、李未央の正体をかなりの人が知るようになる。
 皇帝家拓跋(たくばつ)氏の次代を巡る争い。さらに未央(馮心児)も含む李家の娘たちを巻き込んだ愛憎劇。それらの問題を克服して、馮心児は皇后の座を勝ち取っていく宮廷歴史ドラマ。
 北魏は拓跋(たくばつ)氏の国である。名から判るように塞外民族である。

 北涼が滅びるところから物語は始まる。
 はじめに事故で多くの天灯(灯籠)が浮かび上がってしまうシーンがある。馮心児はそれを捕ろうと二階ほどの高さまで飛び上がり、さらに横に動いたりする。空中浮揚だ。
 わたしは「武侠ドラマ」とは、武侠小説の本来の意味に加えて、時代SFでもあると思っている。エスパーの超能力の戦いだ。だから馮心児は、空中を飛ぶことができるエスパーと思った。こういう設定の武侠物かと思っていたら、後は普通のドラマだった。同じように能力者が多く、これはエスパーだという場面も多いが、武闘場面を強調しただけで、話の本筋を変えるほどではない。
 さらにいえば、武侠物の戦いのシーンは、迫力があってもあまり興味は無い。なぜ戦いになったのか。避けられなかったのか。結果はどうなったのか。それが後にどんな影響を及ぼすのか。それらのことに関心がある。
 特に、能力と行動に矛盾はないか。例えば30メートル跳べる人が、肝心なところで10メートルを跳べない、などということはないか。場面によって設定を変えていないかは気にする。

 未央の読みだが、中国語ではwèi yāng (wei4 yang1)しか出てこない。どうして「BIOUびおう」となったのだろう。
 「びおうさま」もほとんどは「小姐xiao3 jie3」であり、「未央殿」は「未央姑娘wei4 yang1 gu1 niáng2」であり、biouは出てこない。未を「び」と読む例を探したら未央柳(ビヨウやなぎ、ビオウではなくビヨウ)の例があった。美容柳のこと。(もっとも美容柳は別名で未央柳が本名)未央柳は「柳」までそろってはじめてビヨウと読めるのではないか。
(このことについて下のコメントを見てください。未央をビオウと読む例が古くからありました。昔はそう読んだのか。漢和大字典では例外的に「未央」の場合だけ「ビ」と読む例が例が載っています)
 それからいつも桜(のような花)が満開で、銀杏(のような葉が)が紅葉(黄色です)しているのが気に掛かる。

 439年に北涼が滅んで、この頃から南北朝時代(439−589)になる。
 北朝は鮮卑拓跋部の魏(北魏)が386年−534年。
 このドラマの時代は第三代の世祖太武帝(拓跋Z(とう)、在位423−452)の時代である。
 太武帝は華北を統一した。北涼が滅んだのもこのとき。
 初代太祖道武帝、二代太宗明元帝につづき、三代目になる。
 第三代太武帝の孫の拓跋濬(しゅん、第四代文成帝、在位452−465)と未央の出会いから、複雑ないきさつをえて文成帝が即位するまでの物語。(第五代献文帝の即位までもあるが)
 未央が「濬」を筆で書くとき、「浚」と書く。これは代用する習慣があったか。ただし勅令などは「濬」を使っている。

 創作された物語なので、歴史として引用するときは注意が必要。もっとも歴史も「勝者が自分の思うように書く」ので正しいわけではない。
 すでに亡くなっていた濬の父は景穆帝と追号されているが、代数には入らない。
 物語の後、文成帝の没後に第五代献文帝が即位し、未央(馮心児ふう・しんじ)は馮太后と呼ばれることになる。
 献文帝(在位465−471)は幼帝であったので、母(義母)の馮太后に実権があった。なお、馮太后が献文帝を毒殺したという。
 いろいろ調べていると、この物語とはかなり様相が異なる。この当時南朝は宋であるが、趙匡胤の宋とは違うので注意。
 撮影場所は横店の秦王宮(撮影所)が使われている。

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 太極殿や、脇の渡り廊下が盛り上がった場所など何度も出てくる。

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 この物見櫓のような建物も特徴がある。

参考 南北朝時代
posted by たくせん(謫仙) at 10:03| Comment(2) | 武侠世界 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年09月18日

今年のドラマは(秀麗江山、武媚娘傳奇、那年花開月正円)

 今頃、「岡崎由美先生と行く中国の旅」の一行は、少林寺で練功をしているだろうか。それとも開封府で、包青天を偲んでいるだろうか。
 わたしは残念ながら、今年の「岡崎由美先生と行く中国の旅」は断念した。去年の秋から急に足の力が衰えたのである。とても歩けそうにない。
 もっとも先日の会津若松では、旧白河街道の滝沢本陣から金堀までの山道を、一時間四十分で歩いたのだから、全く歩けないというわけではない。

 「多情江山」以来、いままでに見た(見ている)武侠的ドラマがある。

「秀麗江山」(日本名は秀麗伝)というドラマがある。後漢の光武帝と陰麗華の愛の物語であるが、半武侠といえよう。
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 陰麗華役の俳優が「還珠格格」で夏紫薇を演じた林心如である。

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 還珠格格より
 左から、小燕子:趙薇、夏紫薇:林心如、金鎖:范冰冰。
 この頃はまだ少女なので、三人とも「かわいい」が先に立つ。
 いまは林心如も大人になったとはいえ、「かわいい」ころの表情が各所に出てくる。

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 もう見終わってしまったが「武媚娘傳奇」(武則天)では范冰冰が主役の武媚であった。「還珠格格」では夏紫薇の侍女役であった。今では中国一の美人女優になった。年収四十億円を超えるという。金鎖のころの表情はほとんどなく、いわれないと判らないほど変貌している。
 これは武侠的部分は少ない時代劇。もちろん創作が多く、歴史としてみてはいけない。
(10/7追記:先日のニュースでは、行方不明だったが、四ヶ月ぶりに登場し、脱税の疑いで146億円の税や罰金が科せられたという)

 もう一つ「那年花開月正円(月に咲く花の如く)」。これは清朝時代の商人の物語だ。
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 清朝末期に実在し、中国の近代化に貢献した女性豪商・周瑩(しゅうえい)の愛と成功を描いた歴史ドラマ。これはおもしろい。
 主役の周瑩を演じるのは孫儷(スン・リー)。わたしはこのドラマで初めて見た、知った。范冰冰に次ぐ美人女優という。
 わたしは芸能界情報にはほとんど興味がないので、これらの女優たちが今どうなのか、過去どうだったのか、ほとんど知らない。
 この三作のドラマは、侠とはいえないがお勧めである。
posted by たくせん(謫仙) at 06:46| Comment(0) | 武侠世界 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年03月13日

楊旭文版 射G英雄伝

射G英雄伝
楊旭文版 2017年

 2017年の楊旭文版射G英雄伝である。
 もちろんストーリーは判っているし、迷子さんの評で様子も判っている。それでも見始めた。
   ストーリーはこちら 射G英雄伝の世界2 年表・あらすじ
 李亜鵬版射雕英雄伝と比べてしまう。(雕の字は当時使われていた)
 見始めたばかりだが、完顔洪烈(ワンヤンこうれつ)が、未婚の皇子らしい年齢だ。李亜鵬版の洪烈はかなりの高齢に見えた。18年後も不自然ではない。話の中心はそこからだ。
 郭嘯天の妻李萍(りへい)と楊鉄心の妻包惜弱が、まるでお姫様のようで、貧しい農民の妻には見えないのが異様だった。
 酔仙楼の戦いでは、酒を飲むシーンが見苦しい。水道の蛇口をひねったようにして流れる酒を口に注ぐが、全部口からあふれている。それでもやめない。
 それから武闘シーンに、やたらスローモーションが使われてイライラする。

 第2回でジェベ師匠が加わり、テムジンを大カーンと呼んでいる。お世辞かな。
 第3回ではすでに蒙古が金の使者を迎える場面だ。
 金の使者を迎えるときも、コの字型の机の並びで、オンカーンが中央で、テムジンは脇で客と向かい合う席だ。そしてオンカーンの義子と名乗っている。
 正式にはモンゴル帝国では、
初代 ジンギス・カン
二代 オゴデイ・カーン
三代 グユク・カン
四代 モンケ・カーン
五代 クビライ・カーン(大元の初代皇帝)
と複雑。
 原作小説では「第一巻 砂漠の覇者ジンギスカーン」である。
 登場シーンは、兵士の台詞で
「テムジンさまが来られた、大汗(たいカーン)が来られた」であり(文庫本ではP136)、あちこちで台詞では『大カーン』と言われる。だが地の文ではテムジンである。
のちのジンギスカーンであるが(P137)、と、今はまだジンギスカーンではない。
 蒙古はまだ草原の小部族にすぎない。(P153)。
 つまり草原の小部族であるのに、大カーンと呼ばれていることになる。

 もちろん原作がそうなので、このドラマでは、これでよい。
 ハーンということもあるが(言語の違い)、カンとカーンの両方を指すようだ。(普通はカンを汗、カーンを大汗とする例が多い)
 
 ドラマは黄蓉と郭靖が二人して洪七公の弟子となるところまできた。欧陽克に掠われた程瑶迦を助ける。その時、洪七公と再会し、降龍十八掌の残り三手を教わる。特に引っかかるところはなく、順調である。
posted by たくせん(謫仙) at 14:56| Comment(0) | 射G英雄伝 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年02月22日

多情江山

2月22日記
3月16日追記

多情江山  日本名 皇貴妃の宮廷
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 清朝の第3代皇帝順治帝(じゅんちてい)(在位1643−1661)名はアイシンギョロ・フリンの宮廷ドラマ。
 清が北京に入城したとき皇帝フリンはまだ数え6歳であった。摂政王ドルゴンが権力を握っていた。フリン13歳のとき、ドルゴンの死後に親政を始める。しかし、数え24歳で没した。(北京入城と没年だけは数え年であることを確認した。他も同じだろう)
 あまりに若い逝去なので、俗伝では五台山清涼寺で出家したという。鹿鼎記はこの説を採用している。鹿鼎記によって、このドラマの顛末はある程度察することができる。
 その第3代皇帝順治帝の22歳から亡くなる24歳までの話。治政は短いものの一応名君と言われている。
 康煕帝は8歳で即位したので、順治帝16歳のころの子で第三子。このドラマの初めのころは康煕帝は6歳くらいだが、城外で育てられた。その他にも大勢の子がいるが、順治帝の子に対する情は薄かったようだ。子ばかりでなく、皇貴妃たちに対する情も、董鄂妃以外は薄かったらしい。
 その董鄂妃とのラブストーリーだ。

 ドラマでは董鄂妃は江南地方(?)の歌姫である。史実は弟の嫁を奪った。
 ドンゴ氏(董鄂氏)は死後に孝献皇后となる。子の第四子栄親王は三ヶ月(?)で夭逝している。
 順治帝は漢文化を尊重した。そして名品の献上をやめさせたり、官職の合理化を図ったり、質の悪い官僚を追放したりした。庶民の負担の軽減をはかっている。それで名君といわれる。
 わたしは鹿鼎記の前章のような感覚で見ている。見始めたばかり、何かあったら加筆訂正をする。

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3月16日追記
 この中で孝庄太后(順治帝の母)役の袁詠儀が名演といえよう。動きはほとんどなく、席に座っての発言ばかりだが、このときの顔の表情が素晴らしいのだ。喜んでいるときや悲しんでいるときは誰でもできる。しかし、心では喜んで表情は厳しくとか、知らぬふりをするとか、建前と本音が違うときの複雑な表情が見事に演じ分けられている。
 董鄂妃を受け入れながら、臣下の前や後宮では厳しいことを言う。そして双方を納得させる。このあたりの複雑な表情を演じながら、威厳を保っている。
 建国の厳しさを知っている故に、特権に溺れる臣下や後宮を常に引き締めているので、董鄂妃に厳しくとも、その行動に頷いてしまう。
posted by たくせん(謫仙) at 08:27| Comment(0) | 武侠世界 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする