2017年04月13日

琅琊榜(ろうやぼう)

琅琊榜(ろうやぼう・láng yá bǎng)
麒麟の才子、風雲起こす
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 評判の琅琊榜をやっと見た。
 金庸以外の武侠の特徴である架空王朝だが、モデルは南北朝時代の南朝だ。国号は梁、都は金陵。金陵は南京市の古名である。史実では梁の時代は“建康”であった。
 まず、梁国の赤焔軍七万が味方の手で殲滅される。
 赤焔軍の将は林燮(しょう)で、この息子の林殊がこの物語の主人公。
 12年後、林殊は病弱の身の変わり果てた姿で、復讐ないし名誉回復をしようと、変名で金陵に戻って来た。その変名は梅長蘇または蘇哲だ。ここから物語が始まる。

 あらすじなど、あちこちで書かれているので、ここでは書かない。
 琅琊閣の琅琊榜とは天下の才人や武人などの番付で、これによると梅長蘇は天下第一の麒麟才子。
 いったい皇帝にもできないようなこんなリストがなぜできるか。閣主の藺晨(りん しん)の特殊能力か。もちろん大勢の情報員を抱えてはいるが。
 皇太子の蕭景宣(しょう けいせん)と第五皇子である誉王・蕭景恒(しょう けいかん)が後継者の地位を争っていて、“麒麟の才子を得た者が天下を得る”との情報を得る。
 二人とも、江湖の江左盟の宗主・梅長蘇が“麒麟の才子”と知り、招こうとする。ところが、梅長蘇は“第七皇子靖王”を支持している。
 皇帝は、雲南郡主の穆霓凰(ぼく げいおう、林殊の許嫁だった)の武力を削ぎたく、霓凰を嫁に出そうとする。
 こんな風に朝廷内部の勢力争いが大きい。
 時々思い出話などが絡むが、本筋を助けて邪魔をしない。これはすばらしい。
 そして、梅長蘇は事を起こすかなり前から、入念な準備をしている。それがピタリピタリと当たるのだ。まさかあれがこの準備だったのかと驚く。

 第二回で、梅長蘇が太皇太后の所へ挨拶に行く。高齢の太皇太后は昨日あった人のことも憶えていないような状態なのに、“小殊”(林殊の愛称)と呼ぶので、穆霓凰が梅長蘇に疑いを持つ。このように自然に流れている。
 梁の建国の設定はいつなんだろう。現皇帝は少なくとも三代目。
 史実の梁は(502〜557)ほぼ一代で終わった。
 おもしろいのは、三人の皇子の出来が、その母の出来具合と比例している事だ。
 第五皇子である誉王(母は義母・皇后)などかなりの出来だが、今一歩足りない。それで墓穴を掘ってしまう。特に参謀役の秦般弱が梅長蘇と比べて格落ちなのだ。
 話にスピード感があり、夢中になって、なんと2話90分のDVDを5枚借りて一日で見てしまった。全部で27枚54話。
 ここまで夢中になって見たのは初めてかもしれない。
 ドラマの出来がいい。香港の武侠など足下にも及ばず、おもしろいが矛盾の多い張紀中の金庸物よりはるかに整合性がある。まるで“校閲ガール”がいるようだ。
 戦いのシーンも、なぜここで戦わなければならないのか、理由をきちんと説明している。それでいて無駄がない。

 出てくる人物が誰が誰だか判らないので、下のリストを時々見ながら書きながら、ドラマを見ている。
林殊  梅長蘇(ばい ちょうそ) 蘇哲
林燮(しょう、林殊の父、故人)
 飛流  林殊の護衛(少年)
 黎綱(れい こう) 林殊の護衛
 十三先生
 宮羽
 童路  野菜売り連絡係
藺晨(りん しん) 琅琊閣 閣主  

蕭選(しょう せん) 皇帝
蕭景宣(けいせん) 皇太子
越貴妃 皇太子の母 罪を得て貴妃から嬪になる。
 謝玉(寧国侯) 皇太子の味方の有力者
 謝弼(寧国侯の世継ぎ)
 莅陽(りよう)長公主  謝玉の妻、景睿の母
  卓鼎風(天泉山荘 荘主) 江湖者 謝玉に仕える。
  卓青遥  鼎風の息子
蕭景睿(けいえい) 寧国侯府長子(訳あって謝・卓2家の子とされる)
言闕(けつ)  言侯 豫津の父 言皇后の兄
言皇后
言豫津(よしん) 景睿と仲が良い。

蕭景恒(けいかん) 誉王 第五皇子、言皇后の義子
 秦般弱(しん はんじゃく) 誉王の参謀役、若い女性でわけあり。
 慶国公

蕭景琰(けいえん)靖王 第七皇子
靖王妃
静嬪  靖王の母親、女医 嬪から妃となる。
穆霓凰(ぼく げいおう) 雲南郡主 もと林殊の婚約者。
穆青  雲南王 霓凰の弟
紀王  皇帝の弟

蒙摯(もう し) 禁軍大統領 林殊と親しい。
高湛  常に皇帝のそばにいる宦官。
夏江  懸鏡使(皇帝の密偵役)の長
夏冬  懸鏡使 若い女性、霓凰と親しい。
聶鋒(じょう ほう) 夏冬の夫、林燮の武将だった。

第一皇子 祁王 故人
第三皇子 患っている。
第四皇子 皇太子(第二?かな)
第五皇子 誉王
第六皇子 大志なし。
第七皇子 靖王
第九皇子 幼い。

 副題の「麒麟の才子、風雲起こす」は日本語として不安定。
「麒麟才子、風雲起こす」か「麒麟の才子、風雲を起こす」か、どちらかにして欲しい(^_^)。
posted by たくせん(謫仙) at 10:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 武侠世界 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年01月06日

ドラマ霍建華版 笑傲江湖

ドラマ霍建華版 笑傲江湖
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 于正版笑傲江湖といえばいいのか、霍建華(主演俳優)版といったらいいのか。2013年版の笑傲江湖である。
 話には聞いていたが、ここまで改変されているとはびっくり。と言ってもいつものことといえばそうなのだが、それにしてもだ。
 小説では一瞬しか出てこない東方不敗が、あちこちに出てくる。しかも東方姑娘で、儀琳の姉で、本拠地を留守にしてホステスをやっている。一時的なんだろうな。
 さらに出演者が若すぎる。風清楊以外は若いイケメンばかり。老人のはずのあの人この人が、二十代または三十代の若さでは話がつながらないと思うのだが、どうなンだろう。その若さで引退なんて考えられないし。
 林平之はけっこうやり手のようで、とても世間知らずという感じではない。
 この小説の最大の眼目である東方不敗が女性では、葵花宝典の存在が浮いてしまう。あって困るものでもないが、存在感が小さくなる。
 辟邪剣譜は小説通りだ。
 梅荘で任我行を助けるのは、令狐冲と聖姑。向問天は無関係。後に向問天が重く見られるが、もともとの重臣だったのか。
 小説では聖姑のやったことまで、このドラマでは東方姑娘がやっている。しかも二人とも並の美人で、カリスマ的迫力がない。
 聖姑が琴を演奏するシーンがあるが、手の動きと音が全く合っていない。そんなことも迫力のない原因かもしれない。
 その点は、小師妹がそれらしい。他より美人というのではなく、その位置らしさに存在感に迫力がある。
 それでも武術の面では全体的に迫力があるので見続けてしまう。
 いつものことだが、思過崖では谷底から断崖の上まで空を飛んで行くほどの武術者が、黒木崖では池の中からすぐ目の前の岸まで飛べない。簡単に飛び越すと思ったが飛べないのだ。この場合、両者は同一人物ではないので、何とか説明はつくが、これだけの武術者たちが飛べないと判断した理由は気になる。
 こういう設定の不統一は気になるところ。

 こういうことを書いていると、“校閲ガール”になったような気分(^_^)。

 張紀中版はラストがメチャクチャで、金庸先生を怒らせたと聞くのに比べて、岳不群が死ぬあたりは原作に近い。逆にあれっと思ってしまう。
 そして、41回目に初めて黒木崖のエレベーターが出てきたが、まるで近代高層ビルの骨組みのような巨大な仕掛け。そんな科学力があったのに、内力勝負をやっていたのか。どんでん返しのような設定だ。さらにどんでん返しがあって結局する。
 最後のある雪の日、湖の水の中には陽光が輝いていて…、ご愛敬。
posted by たくせん(謫仙) at 07:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 笑傲江湖 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年11月15日

第12回武侠迷大幇会

第12回武侠迷大幇会
 11月12日、日本棋院での碁会を早退して田町に行く。年一回の武侠迷大幇会があった。
 一応30分前から開場なのだが、その5分過ぎくらいに行くと、三分の一ほどの席が埋まっていた。みんな早い。
 まず、目に入ったのは、いつものごとく香港漫画店のMさん。香港漫画を、広げて見せて説明している。表紙ばかりでなく漫画も総カラーページの迫力はすごい。
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 香港漫画店のHPはこちら http://www.hongkongmanga.com/
 Mさんはある武侠小説の翻訳もしている。その第6回の手製の小冊子をいただいた。わたしたちは、完訳した暁には…という夢もあるが、本人は「周りの状況が難しい」と言っていた。

 紹介したい本がある。わたしはまだ読んでいないが、今回は来なかったいつものメンバーの佐藤信弥さんによる本である。
 周−理想化された古代王朝 中公新書
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 わたしも紹介されて知ったばかり。

 今回の参加者は49名。これ以上参加者が増えると、ここでは入りきれない。超満員で通路を歩くのも自由にならないほど。
 となりに座った旅行社の女性添乗員とは「いつか桃花島旅行を…」という話をした。わたしはもう一度行きたいのだ。しかし、あまり先になると、わたしの方が行けなくなってしまうか。
 さていつものごとく抽選がある。抽選券は、お蓉ちゃんの三だった。
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 2013年于正版のドラマ「笑傲江湖」を手に入れた。主人公の名をとって霍建華版と言った方が判りやすいか。わたしはどちらでも不案内だ。

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 メンバーに迷子さんがいる。迷子さんのブログでこのドラマを詳しく説明している。それを読んでいると、ドラマをみるのが恐ろしくなってくる(^_^)。原作無視の名前だけ借りたようなストーリーらしい。所々に原作が入るとか。どうせならこのストーリーで題名などを別にすればいいのにと。

この日の料理を。
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おいしくいただきました。
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2016年09月25日

青島

岡崎由美先生と行く
水滸伝の舞台と世界遺産「曲阜・泰山」を訪ねる旅 11
青島

 今回が最終回になる。
 8月22日の午後8時頃、青島(チンタオ)に着いた。これも15分くらい遅れた。
 夕食は海鮮料理である。これが最後の宴になる。
 ガイドの王さんから、かめに入った紹興酒「女児紅」の差し入れがあった。そして「わたしの方が岡崎さんにガイドされました」と挨拶。

 翌朝、23日(火)はからりと晴れていた。

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 朝食前に散歩に出た。まだ日も差さないうちに海に入っている人が多い。その向こうが小魚山公園だ。今日の観光予定。

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 右の最上階が丸く回転する建物が泊まったホテルだ。

 朝食のため、ホテルに戻り最上階の回転レストランに行こうとしたら、エレベーターが途中で止まってしまう。まだ時間前だった。

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 これは最上階より。
 朝食後に小魚山公園にむかう。昔の町並みなので道がわかりにくい。しかも途中から大型車が入れなくなっていて、歩くことになる。

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 青島は昔ドイツの領土だったことがある。そのときの町並みが今も保存されている。ドイツが引き上げても、次に建築する人たちはドイツの町並みをまねた。

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 この道もドイツ的。

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小魚山公園は有料である。

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 手前はドイツふうの町並み。向こうは高層ビルが建ち並ぶ。

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 日本が占領したとき、水族館を造ったという。半分隠れてそっと顔を出しているのが日本的(^_^)。

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 けさ散歩した海岸。

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 信号山公園。詳しいことは忘れてしまったが、歴史がある。

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 小魚山公園を下ると、道路工事をしていた。その発電機。重慶の会社が製作したようだが。

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 海岸に出て大桟橋を見る。バスは込んでいて入れず、少し離れたところで降りて歩く。

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 青島を占領しようとする軍は必ずこの桟橋から上陸するとか。

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 青島の名前のもとになったという青い島。本当かどうかは……。
 写真を撮っただけで終わってしまった。バスに戻り、これから青島ビール工場へ。
 途中で大渋滞に巻き込まれた。交差点で身動きがとれなくなってしまったのだ。駐車している車があって車線が狭くなっているのに、あとから来た自動車がなんと反対車線に入り込む。あちこちの車の運転手が出てきて、交通整理に当たる。パズルを解くような車の移動だった。

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 有名な青島ビールの工場見学。
 王さん曰く、
「水がうまくないと、ビールもうまくない。今は雨期なのでここの水が一番うまいとき。この工場以外で造られた青島ビールは、名前は青島ビールでもうまくない」
 青島では、一年の降雨量の半分はこの2ヶ月に降る。

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 庭の様子

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 博物館に入る。昔の工場設備の見学である。

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 世界中のビールだ。

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 文字通りの生ビール。

 さてビール工場をあとにして、空港に向かおうとしたら、ここでもまた渋滞、道路に駐車しているバスがあって…、とにかく反対車線に入ってくる車は困りもの。運転手も焦っているようだった。
 空港に着いたときの余裕は約1時間。ぎりぎりセーフといったところ。旅行社から事情を連絡してくれていたので、到着と同時に私たちのためにカウンターを開いた。
 成田行きは30分ほど遅れた。その分空港内で余裕が出来た。
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2016年09月22日

岱廟(たいびょう)

岡崎由美先生と行く
水滸伝の舞台と世界遺産「曲阜・泰山」を訪ねる旅 10
岱廟(たいびょう)

 8月22日(月)の午後は、泰山の南の泰安市にある岱廟(たいびょう)見学である。
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 泰山を祀る廟である。泰山の別名を岱山といったので岱廟となった。
 中国の三大宮殿の一つといわれる。あらためて言うと、北京の紫禁城と至聖廟と岱廟である。
 前回にも書いたようにカメラの電池が切れたので、自分の写真はない。写真がないと思い出せないものだ。他の人の写真が手に入ったので、紹介する。

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 何陽街を城壁に沿って正陽門に向かって歩く。

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 岱廟の城壁の高さは10メートルほど。

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 正陽門の前には岱廟坊がある。

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 正陽門から入る。

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 最初に見える建物は配天門。

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 宣和重修泰岳廟記碑
 宣和年間の岱廟の修復作業の様子が記されている。

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 漢柏
 説明に、別名「連理柏」と言い、「水経注」に「漢武帝が定植したものなり」と記載されており、2100年以上の樹齢があると言われています。
 とある。

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 これも乾隆帝が書いた漢柏に関する石碑。

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 北宋時代の書道家米芾の石碑「第一山」

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 多くの碑文がある。
 李斯の碑文があるのにびっくりした。ただし残っているのは10文字だけ。始皇帝の時代である。
 本来は泰山山頂にあったものを移した。

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 東御座
 岱廟は歴代の皇帝が、泰山を訪問した折に立ち寄る、行宮としても使われた。
 乾隆帝も泰山に登るときはいつも、岱廟にお参りして、数日泊まっていく。泰山に登ること6回、東御座は8回使用した。

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 中心となる天貺殿は工事中。中には入れた。

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 銅亭
 全体が銅でできている。1615年に鋳造された。

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 後ろの門。「厚載門」のはずだが上の地図では「后宰門」と読める。
 この門を出ると、まっすぐ泰山の登り口に至る。

 岱廟は、南北約520メートル、東西約230メートル、至聖廟より少し小さい。
 ある場所でガイドの王さんが、「これも……あの人が…、」これだけで笑い声が上がる。
「皇帝をあの人なんて言ってはいけませんね」
 つまり乾隆帝が…である。結局、乾隆帝の足跡をたどる旅になってしまった。
 王さんは説明するとき、キシュウとかゲンシュウとかいう。とっさに誰だか判らなかった。
 岱廟をダイビョウと言ったとき、岡崎先生が注意というか、訂正を言った。
「岱廟は日本ではふつうタイビョウといいます。ダイビョウでは判りません」
 又、
「キシュウやゲンシュウもシュウではなくてソウと読みます。だからキソウ・ゲンソウといいます」
 徽宗・玄宗のことである。岡崎先生はこういう意味のことを言ったのだ。それでわたしはその前の説明の意味が通じた。

 この名の読み方は微妙な問題がある。日本語ではどう読むかは習慣に近いだろう。中国語でも現代語と、当時の読み方とでは違う。また地方によっても違うだろう。
 隋に煬帝という皇帝がいた。普通に読めばヨウテイであるが習慣的にヨウダイと読む。ダイと読まれるのはこの皇帝一人だけだ。辞書もそうしているが、ある研究者が「日本だけの習慣で何の根拠もない。ヨウテイでよい」と書いていた。

「7 水滸影視城」のところで、「済水(せいすい)」と書いたが、ウィキでは「さいすい」と仮名を振っている。「さいすい」という読み方は初めて見た。
 天龍八部の第一巻P92に、段誉が、「字は和誉」と言うが、「かよ」と仮名を振っている。これは小説の主人公なのでどうでもいいが、いつも「わよ」と読んでしまう。
 その他でも仮名を振るのが少し怖くなる。

 一時間ほどで見学を終えて、バスで高速鉄道の駅まで行く。

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 まるで在来線のような雰囲気の泰安駅ホーム。

 泰安発 16:35
 青島についたのは19:55
 15分ほど遅れている。窓外の景色は田園地帯が続く。見渡す限りハウス栽培の所もあった。はじめに書いたように、この辺りは華北の食料庫だ。7月8月しか雨が降らないので(たとえば青島では、一年の雨量の半分がこの二ヶ月に降る)、みな雨の降ることを願っている。私たちの行く先々が晴れていたのは例外的で、前後で豪雨のニュースがあった。
 そのことが判ってみると、黄河の水が途中で少なくなり、海まで達しないことがあっても納得できる。
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2016年09月20日

泰山

岡崎由美先生と行く
水滸伝の舞台と世界遺産「曲阜・泰山」を訪ねる旅 9
泰山

8月22日(月)
 世界遺産の東岳・泰山といえば名前は有名だが、案外どこにあるか知られていない。
 意外に低く、海抜1545メートル。単独の山ではなく山塊である。
 歴代の皇帝が、封禅の儀式を行ったことで有名な山である。
 ネットで地図など参照しているのだが、どこからどう行ったのか、なかなか判らない。
 アースでは、日本では歩道を歩いている人さえ特定できるほどなのに、中国では道さえはっきりしないのだ。
 その麓の町泰安市からバスで出発する。
 
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 ホテルから見える泰山。

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 バスは左に回り、桃花源つまり裏側から登る形。

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 50分で泰山桃花峪游人中心につき、そこでシャトルバスに乗り換え。

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 桃花源に行き、さらにロープウェイに乗る。
 荷物専用のロープウェイもあった。

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 10時頃に山頂駅に着く。
 そこから少し歩くと南天門だ。

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 南天門、泰山の写真では、下からこの門までの長い階段がよく使われている。
 私たちは中から外へ出て、また中に入る。

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 この上は商店街となっている。天街という。

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 天街は結構広い。それだけ大勢の観光客が訪れることを示す。

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 上の地図でも判るように、泰山は3路線のロープウェイがある。私たちは桃花源の路線を利用した。これは南からの路線。

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 天地
 幅1メートル長さ10メートルほどの小さな池、水は涸れていた。昔は広かっただろう。ここで発見されたという金色の魚(赤鱗魚か)がいた。高地でしか生られない。もちろん今では養殖している。

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 昨日の夕食で、唐揚げを食べた。 

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 五嶽の説明。

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 いよいよ最後の急登

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 登って内側から門を見る。これも身過ぎ世過ぎのため。

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 碧霞祠
 ここは碧霞元君などを祀っているが、乾隆帝の命により、取り壊して新たな祠にすることになった。ところが惜しむ声があり、乾隆帝はその声を受け入れて、祠を幕で覆い、この祠の前に新たな祠を建てて済ますことになった。二重に祠がある。

 また少し登る。

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 紀泰山銘碑
 碧霞祠の斜め後ろにある。いろいろな時代の書である。
 右端の金色の字は、玄宗皇帝の字である。玄宗皇帝は以前に書かれていた字を消して、自書を彫らせた。よく見ると古い文字が薄く見える。貴重な資料だったのに。

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 玉皇頂に着いた。

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 廟の建設前はこの無字碑が山頂より高かった。

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 玉皇廟、玉皇大帝の像が奉られている。

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 あちこちで見る愛の誓い。重さで崩れても有効なんだろうか?

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 仏教の尼さんらしき団体も来ている。未成年者と思える人も。昨晩は私たちと同じホテルに泊まった人たちだ。食事の仕方が仏教徒らしいと思った。
 ここは道教の聖地だが、近辺には仏教寺院もある。

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 となりの峰。東からのロープウェイがこの先ではないか。

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 下界の人家や道路が見える。

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 紅墻内を一週する。ガイドの王さんが、これだけ天気のよいのは珍しい、と言っていた。
 雲の様子から数時間で雨になるだろうと。

 ここでカメラの電池が切れてしまった。
 ここからは下山である。登りの逆コースだ。ロープウェイがなぜか遅い。登りと下りでは速さが違うのだ。
 どんな仕組みなんだろう。ガイドの王さんもはじめはびっくりして、ロープウェイの会社に確認したところ、本当に下りは遅かったと言う。
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2016年09月15日

水泊梁山

岡崎由美先生と行く
水滸伝の舞台と世界遺産「曲阜・泰山」を訪ねる旅 8
水泊梁山

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8月21日(日)
 水滸影視城を見学して昼食後、水滸影視城に戻らず、別な撮影所である水泊梁山に行くことになった。直線距離で二十キロほど。一時間以上かかって、水泊梁山に到着。
 ここも古い水滸伝のドラマ撮影所であった。ただしそのドラマは不評であったという。
 この梁山は梁山泊のあったところとされている。旅行当初は予定になかったが、時間が余ったので行くことになった。

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 梁山塞門
 ここは撮影所というより撮影場所といった方が判りやすい。
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 水滸伝の作者施耐庵像だが、羅貫中説もあり、作者は特定できない。

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わかりにくいが参考図
左下の梁山塞門から、右上の赤い丸印まで往復した。

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 いきなり階段登り。

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 ここで一息。せっかくの遺跡をこうして汚して、いや飾ってしまうのが中国流。ここでも乾隆帝のなんとか。

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 断金亭、屋根のある四阿である。そこには講釈士がいた。まるっきり無視した母子。
 演目は判らない。断金亭は、林冲が晁蓋とあって、好漢の仲間入りをしたところ。

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 向かいの山も険しそう。

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 ここで一休み。店には入らず。

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 道は整備されている。ここを登れば最初の頂上。

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 黒旋風の李逵(りき)、何をしているのか。居るだけでいいのかな(^_^)。

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 琴を奏でる風流人も。

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 ようやく忠義堂に到着、標高200メートル差の山登りだが、一時間近くかかった。

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 忠義堂の中。英雄女侠の椅子がずらりと並んでいる。

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 以下、忠義堂のうしろの高みから。

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 梁山の南にある池、グー地図にないがアースでははっきり見える。
 横1.5キロほど

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 忠義堂の前でショーをやっていたが、おもしろみに欠ける。

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 ここに老婆が来て、椅子を持ってきた男が声をかけると、前の男たちが場所を空けた。この日、一番感動したシーンだった。
 大理では一番前の人たちが日傘を広げてうしろの人の目を塞いだものだ。

 17:15 泰安に向かって出発した。予定していた道が工事中で迂回することになった。運転手もスマホをナビにして道を探す。2時間くらいの予定が、3時間半かかった。

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 途中にあった仏教寺院。かなり格のある寺らしい。
 午後9時近くホテル到着。
 慌ただしかったので、カメラの充電を忘れてしまった。
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2016年09月12日

水滸影視城

岡崎由美先生と行く
水滸伝の舞台と世界遺産「曲阜・泰山」を訪ねる旅 7
水滸影視城

 8月21日(日)バスで水滸伝の撮影所、東平に向かう。
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 バスの窓外は、このような景色がいつまでも続く。一時間半ほどで、水滸影視城につく。
 10時頃から水滸影視城を見学する。

 大河ドラマを作ろうとすると、こうして撮影所づくりから始める。ここで作られたドラマが、2011年作成の 水滸伝 だ。
     兄弟無数
   ♪兄弟壹貳参肆伍
   ♪兄弟個拾百千万
   ♪兄弟が出会えば三椀の酒
   ♪兄弟と語れば二杯の茶


 その後は他のドラマでも使われているはずだが、全体の熱気はいまひとつかな。まあ暑い盛りでもある。

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 この門から入ってガイドを待つ。
 水滸は水のほとりの意味、そこは鉅野沢(きょやたく)といい、湿地帯であったはず。周囲八百里といわれている。約400キロだ。細長い琵琶湖が約240キロ、面積では琵琶湖の10倍はありそうだ。
 1128年に黄河は山東半島の南側に流れを変えた。そのため、鉅野沢はほとんど干上がってしまった。
 1855年に黄河の河道が山東半島の北側に変わり、この近くを流れるようになった。現在は少し恢復した。
 済水(せいすい)は独自の大河であったが、1855年に黄河の下流になった。だから現在の地図にはない。

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 正門の入り口。左に万寿門がありそこが出口になる。

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 右上が出入り口、左の外側が東平湖。水滸影視城はかなり広いが、中央の大通りの下側が主な観光地。
 見たのは(見るところは)全体の4分の一くらいか。
 ガイドの王さんが訊いた。「一番の人気者は誰だと思いますか」
 2番目くらいに「武松」の名が上がった。
「武松です。そのためここでは武松の一画が一番広くて充実しています」
 逆に不人気なのは、呉用だという、「呉用(wu yong)は無用(wu yong)だ」と言われていると。

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 当時の図。左下の鄆城(うんじょう)が宋江のいたところ。

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 門を入ると両側は広場で道にはマニアックな武器が並ぶ。

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 この辺りは東平府といった。

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 立派な門だが、中には入らない。広い撮影所だが、こうして誰も見学していないところが多く、見学する所は狭い。

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 宋代の戦車、中に人が入って押した。使い勝手はどうだろう。

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 これは自然の岩。

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 文明鎮に入る。
 この二階の真ん中の部屋で、武松が西門慶と潘金蓮を殺し、兄武大郎の仇を討った。
 潘金蓮は前回紹介した「女子読み水滸伝」の語り手。

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 武大郎(武松の兄)の家。潘金蓮と暮らしていた。そこに武松が同居することになった。

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 武大郎の家の一階、虎は武松が殺したが、皮は持ってこなかったはず(^_^)。
 二階は別料金だったので上がらなかった。

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 この二階の小道側の出窓から、潘金蓮が顔を出したところを西門慶に見られたのが、不倫のきっかけ。

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 王婆茶館から大通りの斜め向かいに武大郎の家があった。
 王婆茶館に金持ちの西門慶が来て、王婆が潘金蓮を呼び出す。名目は仕立てだった。
 王婆にとっても、滅多にない金儲けの機会だっただろう。

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 王婆茶館で茶を飲みながら講釈を聞く。語っているのは宋江の閻婆惜(えんばしゃく)殺しらしい。
 両手に鳴り物を持っている。

 出口方向へ向かうと小さな人だかり。

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 武大郎の炊餅売り。餅ではなく、小麦粉(あるいは米粉)を薄く引いて焼いたものらしい。

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 状元糕の作成現場。糯米に落花生を混ぜて搗いている。

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 宋代にもうこんな大砲があった。

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 土産物屋である。一階を見て二階に上がろうとしたら、向こうで撮影中だという。

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 撮影現場に遭遇。古衣装の女が歩くところを数回繰り返していた。
 一シーンが終わって、土産物屋の二階に行って二階の窓から見たら、次のシーンの準備中だった。
 これもアトラクションの一部ではなかろうか、という意見も。

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 雰囲気のある建物だが、見学者はいない。

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 まもなくここでショーが行われる。

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 ぼてふり(棒手振り)武大郎がここに荷物を置いて、ひとしきり商売をしてから、いなくなる。

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 李員外招親
 ショーの名前。員外とは金持ちに等しい。本来の意味は定員外の役人だが、無役なので給与はない。それなのに金持ちはこの地位を買った。理由は、役人になると税金を払わなくてよいからである。故に金持ちの意味で使われることがほとんど。
 招親はここでは婿選び。お嬢さんが鞠を投げ、それを受け取った者が婿になる。

 このお嬢さんはぽんと鞠を投げてしまった。味も素っ気もない。
 大理では何度か投げるふりをして、客がどよめいたものだが。宋城では婿入りで、漫才をやり大勢の観客が笑い転げていた。
 ここでは観客の数も少ないが盛り上がりがない。熱気がいまひとつとは、こんな場面に思う。
 武大郎が左の端でショーの太鼓を叩いていた。

 青石巷から高みに上がり、東平湖を見る予定であったが、土手の上の民族園は入れなかった。

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 湖を見ようと西の端の城壁に登る。階段はかなり崩れていて、やや危険状態。

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 城壁の内側では何かのショーを行うようだが、今は誰もいない。

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 周囲八百里(約400キロ)といわれた鉅野沢(きょやたく)も、黄河の流れが変わり干上がってしまった。ようやくここまで恢復した。現在は直角三角形に近く、高さ17キロ、底辺が12キロ。長辺が20キロくらいか。
 この地方は7月8月しか雨が降らないため、水不足は深刻である。

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 昼食時なので、大通りはほとんど人がいない。

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 最後に道観を見る。少し遅いが昼食の時間だ。万寿門から出た。
posted by たくせん(謫仙) at 08:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 武侠世界 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする