2020年03月02日

瓔珞(エイラク)

瓔珞(エイラク)〜紫禁城に燃ゆる逆襲の王妃〜
原題 延禧攻略  全70話(2018)

   2020.2.21.1.jpg

 清朝乾隆帝の時代。後宮では陰謀が渦巻いていた。ほとんどの話は創作と思われるが、どこまで本当か気になってしまう。なお王妃ではなく皇妃である。

 皇后は富察(フチャ)氏であるが、子を亡くして失意の底にあり、高貴妃(こうきひ)が寵愛されていた。寵愛を受けると、事実上の権力も移る。問題は女官の生殺与奪の権力まであることだ。理由は適当でよい。まるで戦国時代だ。
 ここに新米の女官として魏瓔珞(ぎえいらく)が入ってくる。亡くなった姉の死の原因を探る。その間にいろいろといじめを受けるが、常にそれを上回る知略で、相手を追い詰めていく逆転劇が痛快である。
 倍返しだとは言わないが、女性版“半沢直樹”だ。
 高貴妃や皇后など、高位の女性が次々と陰謀で死んでいく。多くの女官の死はペットの死と同じで、問題にもならない。清の最盛期の乾隆帝の時代なのに、後宮はけっこうお粗末。
 魏瓔珞のモデルは魏佳氏の令皇貴妃で、名は不明。没後、子の永琰が皇太子に立てられたことで孝儀(純)皇后と追贈された。四子二女とこどもに恵まれる。
   貴人→嬪→妃→貴妃→皇貴妃
 皇后富察(フチャ)氏の女官になる。魏佳氏が貴人→嬪になってから皇后富察氏は亡くなるが、この物語では富察氏の死後に嬪になる。

 悪辣な継皇后ホイファナラ氏(輝発那拉氏)をどう追い詰めるか、が興味の中心になっている。史実では継皇后ホイファナラ氏は後に廃される。原因は不詳。

 一時、順嬪が登場して、問題を起こし、それを皇后が利用するが、苦心の末解決する。そして自身は身ごもる。そして皇后と休戦協定を結ぶ。
 皇后は人を巧みにそそのかすが、決して自らは手を下さないため、10年以上にわたって後宮は平和を維持することになる。
 十五男:永琰(嘉慶帝)も生まれ、この頃が「還珠格格」の物語の時代に重なる。

‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
 乾隆帝の出自は海寧の銭家であるという、そんな俗説がある。金庸小説では、海寧の陳家としている。
  参考 塩官と陳家

 この乾隆帝は一応名君と言われている。しかしこの話の後宮といい、失敗を重ねた遠征も成功と宣伝したり(十全武功)、また、和珅(わこんヘシェン)という貪官を重用したり、けっこう問題も多い。
 嘉慶帝が後を継ぐと和珅の罪を追及した。没収した財産は国家の歳入の十年分以上だったという。これだけ賄賂をむさぼる役人は空前絶後であろう。乾隆帝の時代はそんな問題の多い時代である。
 乾隆帝の浪費がたたって(?)、清は衰退に向かう。

   魏佳氏(ウェイギャ氏) 略歴
雍正 5年(1727)魏佳氏出生、乾隆帝16歳。
乾隆10年(1745)正月23日魏貴人となる。11月17日令嬪となる。
  乾隆13年 3月11日、富察皇后死去。
乾隆13年(1748)5月、令妃となる。
乾隆22年(1757)正月、南巡に同行。
乾隆24年(1759)11月20日、令貴妃となる。
乾隆25年(1760)10月6日、令貴妃は皇十五子の永琰(えいえん)出生。後の嘉慶帝である。
乾隆27年(1762)正月、南巡に同行。
乾隆30年(1765)正月15日,南巡に同行。5月10日,皇貴妃となる。
  乾隆30年 継皇后ホイファナラ氏(輝発那拉氏)江南で皇帝の怒りを買う。
  乾隆31年 継皇后 死去。
乾隆36年(1771)2月、泰山及曲阜に同行。
乾隆38年(1773)冬至,13歳の永琰が皇太子になる。ただし清朝では発表しない。
乾隆40年(1775)正月29日、死去、49歳。10月26日,金棺奉安裕陵。
乾隆60年(1795)9月3日、永琰を皇太子とし(発表か)、母の魏佳氏は孝儀純皇后に追封される。
posted by たくせん(謫仙) at 09:49| Comment(0) | 武侠世界 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年02月24日

紫禁城 後宮見取り図

瓔珞(エイラク)のための紫禁城の後宮見取り図

koukyu1.1.jpg
1 養心殿 乾隆帝
2 慈寧宮 (康煕帝時代の皇太后宮)
9 寿康宮 皇太后
3 長春宮 孝賢純皇后 富察氏(フチャ)
4 延禧宮 令皇貴妃 魏佳氏(ウェイギャ)(ドラマでは瓔珞(エイラク))
5 儲秀宮 慧賢皇貴妃 高佳氏(ガオギャ)(ドラマでは高貴妃)
6 承乾宮 嫻妃→継皇后 輝発那拉氏(ホイファナラ)
7 永和宮 怡嬪 自害(第2回)
      愉貴妃 珂里葉特氏(ケリェテ)
8 鐘粋宮 純恵皇貴妃 蘇氏
10 麗景軒 順嬪 今は亡き高貴妃の儲秀宮のうしろ

5と8の上にも細かく建物があるが、省略している。
11 還珠格格の漱芳斎はこのあたり。別な話だが参考のため。
posted by たくせん(謫仙) at 16:22| Comment(0) | 武侠世界 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年12月31日

唐磚

唐磚(とうせん)
日本名 大唐見聞録 −皇国への使者−

     19.12.23.2.jpg

 タイムスリップもの。
 発掘調査に救護班として参加していた雲不器が穴に落ちて、その先は唐の時代だった。
 背中のリュックは救急セットが入っている。リュックは墓標の側に埋めて砂漠の中を歩き出す。

  19.12.26.2.jpg

  19.12.26.1.jpg
 砂の砂漠の中の一軒家って、そんなところに家があるのか。庭には大木が一本。砂漠に育つか。ともかくそこに入って二人の男に襲われたのを、若い女、李安瀾に助けられる。この娘は太宗の知られていない長女だった。お定まりで恋仲になる。そこには水や燃料がある。どこから持ってきたのだ。
 そこに、唐太宗の太子たちの軍が入ってきた。
 製塩して喜ばれ、点滴の要領で輸血して太子を助ける。救護班だから注射器など持っていたのだろう。一応血液型チエックなどはする。
 雲不器はすんなり唐太宗の時代に溶け込んで、太宗に重用される。

 バッタの害に、バッタを食用にすることで対処する。わずかを食用にしたくらいで、どうにもなるものでもないのに。
 食糧不足の軍にインスタントラーメンを提供する。何らかの方法で現代と交易ができたのかと思ったら、そうではない。では、そんなに大量のインスタントラーメンをどうやって作ったのか、その材料はどこから? 食料が不足して困っているのだ。材料の小麦粉があれば、食糧不足にはならない。
 そんな風にあちこちに矛盾がある。舞台設定のタイムスリップや言葉が通じるのは仕方ないとして、それ以外の普通の部分は矛盾してはいけない。トンデモ化してしまうではないか。ところがこのドラマではそこがおもしろい。
 コミック化しているが、このドラマの底には玄武門の変がある。太宗が兄と弟を殺し、父の初代皇帝を隠居させたクーデター事件だ。それを知っている太子も同じことを考える。そして失敗する。だから結構重さがある。影がある。
 李安瀾は玄武門の変で母親を殺された。殺したのは誰か。これがこの物語の中心となる謎だ。
 最後は重臣の侯君集が太子を担いでクーデターをおこす。それを雲不器の奇策で防ぐ。そして雲不器は死んだと思われる。ところがはじめの、あの現代の穴の底に、無傷で帰っていた。夢を見ていたような形だ。周りの古物には唐代に自分で使用した想い出の品がある。

 問題点が多く、タイムスリップの諸問題を克服したとはいえない。だからコミックになってしまう。インフラの不備・言葉・文字(篆書体)・衣食住の貧しさなど、タイムスリップものは、それらの問題の解決がついてまわるのだ。
posted by たくせん(謫仙) at 08:08| Comment(0) | 武侠世界 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年12月24日

蘭陵王妃

ドラマ 蘭陵王妃
日本名 王と皇帝に愛された女

     19.12.231.jpg

 あの有名な北斉の蘭陵王の妃だが、これは実話か。つまりモデルがいたのか。

 北斉の端木怜(たんもく・れい)は、始皇帝の時代に“天羅地宮(てんらちきゅう)”を建立した端木吉(たんもく・きつ)の血を継ぐ末裔。始皇帝による天下統一の秘密が隠されたこの建物への入宮には、三種の神器の1つ“鎮魂珠(ちんこんじゅ)”が必要だった。
 これを探りに北周の宇文邕(うぶん・よう)に嫁ぐが、事故で記憶を失ってしまう。
 この俳優は演技はうまいとはいえない。舞は本格的だった。調べたら歌手だった。物語もあり得ない設定が多い。端木怜が北周の都から北斉へ行こうとするが、荷物もなく、ひらひらの衣装で、ひとりで山道を歩いている。いったい何日かかると思っているのだろう。
 かというと、戦いの場面はけっこう迫力がある。
 初めの数回をみて、おもしろくないなと、最後を見たら意外な展開なので、中も見ることにした。
 わたしが注目したのは、宇文護が明帝を殺すがどうやったのか。宇文護はどうして自分が皇帝にならず宇文邕を武帝にしたのか。武帝は12年間耐えて、宇文護を誅殺するがそのいきさつはどうだったのか。

 念のため、北周の年代を書いておく。
556年−557年 孝閔帝 1年
557年−560年 明帝 3年
560年−578年 武帝 18年
572年       宇文護 誅殺

 573年 蘭陵王死す
 577年 北斉滅ぶ
578年−579年 宣帝 1年
579年−581年 静帝 2年


 ところが、なんと武帝が即位してまもなくの宴会をきっかけに、武帝宇文邕と宇文護が争い、宇文護が死ぬことになる。この戦いは、双方が準備して仕掛けた。12年間をパスしたのだ。ここは時間経過が曖昧。皇帝に擁立してくれた礼を改めて12年後に行った。という解釈もできる。この場合は端木怜の年齢が問題になりそうだ。

 天羅地宮の設定などおもしろいアイディアと思ったが、肩すかしをくらう。天羅地宮のからくり仕掛けはびっくりするが、中身はくだらない。「始皇帝による天下統一の秘密」などという大げさなものではない。
posted by たくせん(謫仙) at 16:39| Comment(0) | 武侠世界 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年08月29日

周伯通の年齢

2013.3.10記
2019.8.29改訂

周伯通(老頑童)の年齢

 女の子と老人が元気な金庸小説でも周伯通はきわだつ。老頑童といわれ、誰にでも好かれる人物だ。
 老頑童は関西弁を話す。これで江南なまりをあらわすが、他に関西弁は天龍八部の阿碧たちぐらいか。
 岡崎さんは「わたしの手元に翻訳原稿が上がってきたとき、関西弁になっていて、それが大変おもしろかったので、そのまま使うことにした」と言っていた。
 少し智慧が足りないようだが、精神構造が子どものまま大人になったと考えれば判りやすい。もちろん文字は読めるし知識もある。それなりに頭はよい。武術は超一流。郭靖のことを「アホや」と言うが、その郭靖が老頑童をなんとかあやしている感じだ。
 ここの西暦は計算のための目安である。金庸小説では、年齢は満年齢を使っている。また、当時の年の切り替えは西暦とは一ヶ月以上ずれていて、年数は切り上げ切り捨てがあり正確ではない。1〜2年ずれることがある。しかも史実とは大きくずれる。

以下4行は史実。
全真教の開祖王重陽(1112〜1170)の享年は五十九くらい。
1164 王重陽は活死人墓を作り、そこで修行をはじめる。
1167 活死人墓を出る。3年ほど活死人墓にいた。
1170 死去。58歳か。

   …………………………
 以下は小説、射G英雄伝と神G侠侶(神G剣侠)より
1199慶元五年秋、射G英雄伝が始まる。これを基準とする。

郭靖が17歳(秋には18歳になる)のとき、桃花島で周伯通(老頑童)と出会う。そして
☆周伯通は、「王重陽が出家する前からいい友だちであった」と言う。(射G英雄伝)
九十にもなろうという老人の、あまりにも素早い身のこなしに、趙志敬は舌を巻いた。(神G、文庫第四巻、P9)
☆第五巻「めぐり逢い」では、「開慶元年」に話が始まる。この年、郭襄16歳の誕生日、再び襄陽城の戦いが起こる。周伯通106歳(90+16)
☆第五巻P120では、「百歳近くになっても矍鑠としている」とあり、百歳前の扱い。

 老頑童の年齢についてはこの五行が手かがりである。王重陽はいろいろと数字があるため、比較しながら老頑童の年齢を考察した。王重陽の年齢は変えても矛盾しないが、このままで58歳で亡くなったとする。
 活死人墓に入ったのは、史実では52歳のとき。小説では逆算して、26歳のとき。
  
1150 周伯通の誕生。慶元五年(1199)から逆算する。
1153 開慶元年(1259)に106歳とすればこの年誕生だが、この説は採らない。(開慶元年は一カ所で、その他はすべて慶元五年を基にしている)
1160 (周伯通10歳)

1167(慶元五年秋から逆算、王重陽26歳・周伯通17歳)
 王重陽は活死人墓を作り、そこで修行をはじめる。8年間。
1170(周伯通20歳)

1175(王重陽34歳・周伯通25歳)
 古墓派の開祖である林朝英が古墓に入る。林朝英が死去する十年余前。(文庫本第一巻P208)
 全真教の開祖王重陽は古墓を出る。出家して道観(重陽宮の前身)を建てる。
 周伯通はこの(出家して道観を建てる)前からの付き合いということになる。
1180(周伯通30歳)

1185(王重陽44歳・周伯通35歳)
 林朝英が死去。第一次華山論剣の13年前。(文庫本第一巻P364)

     ……… ここまでは神G侠侶の話、以下は射G英雄伝の話 ………

1190(王重陽49歳・周伯通40歳)
1197(王重陽56歳・周伯通47歳)
 王重陽と周伯通は大理に行く。ここで周伯通と劉貴妃との間に子ができる。これが周伯通の生涯の汚点となる。劉貴妃に頭が上がらなくなっていつも逃げている。第一次華山論剣の1年前

1198(王重陽57歳・周伯通48歳)郭靖と黄蓉が出会う20年前
 第一次華山論剣。王重陽が勝ち九陰真経を得る。

1199(王重陽58歳・周伯通49歳)
 ★慶元五年秋、射G英雄伝の始まり。高宗即位後72年目になる。
 冬、丘処機が杭州郊外牛家村に現れ、郭嘯天と楊鉄心と知り合う。
 第一次華山論剣の翌年、王重陽亡くなる。(第4巻雲南大理の帝王)
★この年表はこれを基準にしている。射G英雄伝で年号がはっきり書かれているのはここだけ。
 周伯通、王重陽の死後「九陰真経」の下巻を黄薬師に騙し取られる。その後5年修行し、桃花島に行き、洞窟に閉じこめられる。

1200(周伯通50歳)
 牛家村が襲われ、郭嘯天が殺される。
 李萍は段天徳に掠われ北京まで行き、さらに蒙古行きの荷物運びにされ、結果蒙古に逃れ、九月には郭靖を出産する。包惜弱は金の趙王に掠われ、金で楊康を出産する。

1203(周伯通53歳)
 王重陽の死後5年であるが、実際は4年あまりと思われる。
 黄蓉生まれる。黄蓉の母は亡くなる。
 周伯通、桃花島の洞窟に閉じこめられる。15年間閉じこめられ郭靖と会うことになる。

1210(周伯通60歳)

1218(周伯通68歳、郭靖18歳(秋に18歳)、黄蓉15歳)
 牛家村が襲われてから18年後。周伯通が閉じ込められてから15年後
 郭靖と黄蓉は嘉興に向かう。時は旧暦の六月。
 続いて二人は桃花島へ渡る。郭靖ははぐれてしまい、周伯通と出会う。周伯通の年齢は不明だが、老人という。
 第一次華山論剣の翌年に王重陽が亡くなり、周伯通は5年の修行ののち、15年間桃花島の洞窟に閉じこめられた。単純合計では華山論剣から21年後だが、20年後。

 周伯通の言葉「わいと王の兄貴とは古いつきあいでな、兄貴が出家する前からもうええ友だちだった。…」。幼友達ではないようだ。
 この時の周伯通の年齢は、王重陽の9歳下の68歳あたりとすると計算が合う。王重陽は58歳で亡くなったが、小説では年齢不明。
 王重陽は出家の前8年間は活死人墓で修行していたので、周伯通とのつきあいは26歳より若いとき。周伯通は17歳以前。いい友だちだったというが、少年時代のつきあい。
 王重陽が活死人墓を出てから出家するまで少し時間があるが、その間にいい友だちになったとも考えられる。ただし王重陽は林朝英と江湖を旅していたので、可能性は小さい。

1220(周伯通70歳)
 楊過誕生。
 第一次華山論剣の22年後。
 第二次華山論剣。第一次の25年後の1223年に開かれるはずだった。年数に3年の差がある。金庸の計算違いか。

     ……… 以下は神G侠侶の話 ………

1240(周伯通90歳)
 第二次華山論剣から20年後(と計算)、襄陽城の戦い。郭襄生まれる。この年楊過20歳。
 九十にもなろうという老人の、あまりにも素早い身のこなしに、趙志敬は舌を巻いた。(文庫第四巻、P9)。

1256 (周伯通106歳、楊過36歳、郭襄16歳、郭芙32歳)
 16年後、再び襄陽城の戦いが起こる。慶元五年秋から57年後。

1259(周伯通106歳、楊過36歳、郭襄16歳、郭芙32歳)
 第五巻「めぐり逢い」では、再び襄陽城の戦いが起こるのは 開慶元年(1259)としている。
 慶元五年秋から60年後。射G英雄伝と通算すれば3年の差がある。2回の論剣の差3年が、ここで調整されることになる。

1257〜1259 は無かったことに(^_^)。1256と1259を同じ年とすればこの世界が成り立つ。

 120頁では「百歳近くになっても矍鑠としている」とあり、百歳前の扱い。
 279頁では金輪法王の台詞に郭芙35歳としているが、それなら生まれは第二次論剣の翌年となり楊過より一歳年下。第二次論剣の数年後に懐妊なので矛盾する。32歳とすべき。これは金輪法王の間違いとするか。
 330頁には楊過36歳とある。だから1256年でなければならない。

 開慶元年(1259)を基準にすれば3年ずれる。第一次論剣以降の出来事は全て3年遅くして、第一次と第二次の間を25年にすれば整合性がとれる。
 そのためには何度も出てくる、「20年前」などという台詞を「23年前」に変更しなくてはいけない。また射G英雄伝の始まりを「慶元五年秋」の3年後とすることになる。これは基準で変えられない。そこで、それまでの出来事はそのままにし第五巻を開慶元年の3年前として年表を作成した。

 モンケが亡くなったのが開慶元年なので、小説上でも、襄陽城の戦いを開慶元年にしないわけにはいかなかったか。

 別記の 古墓派の年表 では、第一次論剣と第二次論剣の間を25年としている。

     ……… 次は倚天屠龍記の話 ………

 倚天屠龍記では、
1259 襄陽城の戦いのあと、郭襄が流浪の旅に出て、襄陽城の戦いの3年後に、少林寺の近くで、周伯通の名を出す場面がある。
 してみると、109歳までは生存していたことが確認される。
posted by たくせん(謫仙) at 07:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 射G英雄伝 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年08月04日

大玉児伝奇

大玉児伝奇 邦題/皇后の記

    download.jpg
 大清建国の物語である。そして中心となるのは摂政王ドルゴンである。
 ドルゴンは初代ヌルハチの息子であった。
 ドルゴンは恋人玉児との仲を裂かれ、玉児はホンタイジに嫁す。ホンタイジの死後、ドルゴンは、ホンタイジと玉児の息子フリンの後見として、一生を玉児のために捧げてしまう。それでも晩年(三十代後半)は暴君に近い。
 仲を裂かれたとき、ドルゴン数え十四歳、玉児は数え十三歳。現実感が薄い。その前に数え十四歳のドルゴンが、現代なら小学生か中学生かという歳で、戦場で兄を助けて大活躍。否定できる材料は持っていないが、これも伝奇かな。

 ヌルハチ、ホンタイジ、ドルゴンと優れた人材がいたが、多くの人は他民族統治の意味が理解出来ない。ドルゴンの兄弟たちは、草原でトップを争った意識を、北京まで持ってきていて、隙あらばクーデターを起こしてドルゴンを皇帝にしようとする。そうしてあちこちでドルゴンの足を引っ張る。
 また、本来なら皇太子ような位置にいるはずのホーゲさえ、漢土への進出を、盗賊が荒らしに来た程度にしか考えていない。民家に優れた物があれば、当然のごとく没収する。そのために漢土を征服したと思っている。
 いくら玉児やドルゴンたちが、国家経営の構想を描いても、実力者が国家家経営の意味を理解出来ず、略奪を繰り返す。それが自分の権利だと思っているのだ。それが統治の足を引っ張る。
 そんななかで、なんとか建国し、ドルゴンは死に、三代皇帝フリンに引き継ぐ。全50回のドラマで、ここまで46回。
 それから康煕帝の成長までが、玉児(孝荘文皇后)の出番なのだが、皇帝フリンの成長まで3回。最後の1回はフリンの出家と康煕帝即位で終わる。
 ちょっと物足りない。

 ところで玉児の名だが、どうもしっくりしない。漢語で玉児の読みがyùér (ユアル)なのだ。名はブムブタイ(布木布泰)。玉児の名はどこから?
 ヌルハチ(努爾哈赤)、ホンタイジ(皇太極)、フリン(福臨)、ドルゴン(多爾袞)など、みな清建国前の満州語なのだ。
 玉児の名に限らず、多くのことが、史実から外れているように思える。創作部分が多いと思える。
 フリンの董鄂妃は江南地方育ちである。弟の嫁を奪った。そのため弟は自殺してしまう。この辺りは、きれい事で済ますことはしていない。
 前に紹介した 多情江山 とはあまりに違いすぎる。
 多情江山よりはかなり史実に近そうだ。そうはいっても、これは大玉児伝奇の題の通り、伝奇として見るべきだろう。

 玉児役の俳優「景甜」は、中国一の美人だという。個人的な感想だが、あまりに顎が細く、人形のようだ。
 かなり前、数代先の人相として、柔らかいものばかり食べているので、顎の発達がなく、細くなるというSF的な予想があった。その見本の顔がすでに実現していた。
 また玉児をはじめ一部の女性たちの顔は、白塗りで血色が全く無く、不気味である。そんな化粧が当時の化粧法だったのだろうか。あるいは撮影当時のはやりの化粧法だったのか。白塗りは全編ではなく、一部分では少し血色があるにしても。
 
   ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥

孝荘文皇后
年号と西暦では一ヶ月以上のずれがあるので、差が生じることがある。年齢は数え年てある。
1613年     出生
1625年13歳 ホンタイジの側室となる。
1638年26歳 フリン(順治帝)を出産
1643年31歳 ホンタイジ死去
          順治帝即位6歳 ドルゴン摂政
1650年38歳 ドルゴン39歳死去
1651年    順治帝13歳 親政
1656年     順治帝18歳 最愛の満州族の董鄂氏入宮。
         董鄂氏はドラマでは漢族 江南の人
1660年    董鄂氏第四皇子出産、第四皇子と董鄂氏死去
1661年49歳 順治帝24歳死去
 (ドラマでは第四皇子出産、続いて第四皇子と董鄂氏死去、順治帝出家)
         康煕帝即位
1688年75歳 死去
posted by たくせん(謫仙) at 11:53| Comment(4) | 武侠世界 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年07月28日

木府風雲

木府風雲
   絢爛たる一族 〜華と乱〜

 面白いドラマだった。武侠ではないがこちらにする。2012年作。
 武侠ではないとは、たとえば定番の空中浮揚が出てこないなど。

 世界遺産となった雲南の麗江を舞台にした物語である。木府はその地の支配者の住む、そして政治の中心となる所だ。現在そこに木府が再建され、わたしは旅行で行ったことがある。
 金庸小説では「沐府」の名で出てくる。

19.07.24..11.jpg
 わたしは初め風伝(ふうでん)と読んでしまった。(^_^)
 安倍首相が、云々(うんぬん)を「でんでん」と読んだのを嗤えません。

 時代は明代末期。
 主人公の阿勒邱(あろくきゅう)は、滅ぼされた一族の復讐のため、叔父と言う西和によって、幼いとき木府に送り込まれ、侍女として住み着く。西和の目的は木府を滅ぼすことだが、しかし、阿勒邱は善良で賢く、木府を滅ぼそうとは思っていない。西和の陰謀に巻き込まれただけだ。
 少し猫背のせいか、常に頭を低くして畏まっているイメージだ。歩くときも前屈み。そして権力者に囲まれて、怯えたように緊張している。この微妙な表情がうまい。もちろん緊張が解けた時は表情が違う。
 大勢のエキストラは、地元の人たちのいつもの生活をそのまま利用しているようで、(四方街の)ダンスのシーンなど、麗江のいつものシーンそのままだ。服装は今も着ている民族衣装だ。そのままではなく昔風に変えていると思うが。
 そして麗江は水の都。至る所にきれいな水が流れていて、そのまま上水として使えるほど。わたしは食器を洗っているのを見たことがある。撮影された橋や建物など、わたしも見たことのある場所が多い。
 清潔感のある、美しい石畳の町並みと玉龍雪山などの景色。
 山に囲まれているため、通る道は限られているので、城壁のいらない城市、それでも城門はある。
 洪武帝に木氏が土司に任じられて以来、木府も少しづつ充実してきたが、このドラマの時代の明朝末期の建物は、再建された今の建物とはかなり違っていた。
 現在の木府などは再建と新建築によって、映画撮影所のようになっている。特に漢族文化を強調するあまり、あちこちを資料を無視して、漢族風建物に作っている。

 さて第4回、阿雄将軍の台詞
「土司こそ大活躍 先陣を切って多数の敵を葬りました」
おそらく「 屠りました」であろう。言葉は聞き取れないが、字幕なので「葬りました」が浮いてしまう。訳した人が言葉を間違えたのか、字幕を作った人のミスか。
 ナシ語で阿雄将軍が「葬りました」と言ったとは考えにくい。この翻訳の微妙な差は他にもある。
 ドラマの原文は漢語だが、本来「ナシ語」であるから、ナシ語を漢語に訳した形をとるだろう。そこには多少ナシ族の言葉の習慣が入るかもしれない。それを日本語に訳す。
「土司」という言葉。聞いていると「土司大人」と言っている。土司は漢人が地方に根付いた「司」を言った言葉。対する言葉は任地が転々と変わる「流官」(ウィキによる)。
 目下が「土司」と呼ぶのは違和感がある。「土司大人」なら違和感はない。だがナシ語ではどうか。
 門には「木王府」とある。明がこの文字を許したならば、木王様と呼ばなかったのだろうか。
 また「大明麗江府」という文字が途中で出てくる。大明麗江府が明の正式な名だったのか。

 ナシ族の婚姻は通い婚。すべて女性が取り仕切り、男では借金もできない女性社会。家の出入り口の近くの部屋は、若い女性の部屋なのだ。
 ドラマで町の商人を集めたとき、来たのは男性ばかりで、なんかすっきりしない。男性社会だ。こんな所にも漢族文化の地であったことを強調しているようだ。
 また、正妻と妾の関係など、漢族ならまだしも、ナシ族では信じがたい。
 名目最高権力者は土司だが、事実上は土司夫人が権力者だ。これはこのときの土司夫人が優れた人物だからであって、女性社会だからではないだろう。

 なんて細かいところを取り上げたが、話の展開はスピーディー。飽きさせない。いつも、どうなるのか、どう切り抜けるかと、はらはらのし通し。思わず阿勒邱(あろくきゅう)を応援してしまう。善良で賢いのだが、肝心なときに簡単にだまされる。だまされたふりをする策略と思っていると、だまされただけだった、なんてこともある。
 土司夫婦、その二人の息子夫婦、そのそれそれの息子(土司夫婦の孫、木増・木坤)に阿勒邱が混じる愛憎劇だが、木府の存続を賭けたスケールだ。
 木府は金鉱が主要な産業だが、金鉱を欲しがる山砦の主に、木増は交易権を与え、
「金鉱は枯れるが、交易は永遠につきぬ財源となる」と説く。
 第37回、さらに、木増に漢人(徐弘祖)がさとす。
 金鉱はいつかは必ず枯渇する。永遠に枯れないものとして、文化による繁栄こそ麗江を永遠に支える。
 そして木増の時代に、麗江は最も繁栄をした。
 土司夫妻とその幼い子供が、庶民と一緒に四方街で踊る姿は感動する。

♪ 伝説中有一片浄土  それは遙か昔の物語
  住着古老的民族   楽園に住む人々がいた
  毎箇人都能歌善舞  歌と踊りをこよなく愛し
  他們従来孤独    仲良く暮らしていた
  オーアイヨー アイヨー アイエー 

参考 雲南憧憬 9 麗江
   天龍八部の旅13 麗江古城
posted by たくせん(謫仙) at 17:51| Comment(0) | 武侠世界 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年03月21日

神雕侠侶・新版(于正版神G侠侶)

神雕侠侶・新版(監督:李慧珠)(于正版神G侠侶)

楊過:陳暁
小龍女:陳妍希

神雕侠侶・新版.jpg

 ドラマ「神雕侠侶・新版」を見た。
 旧版(2006年版・張紀中版)についてはいろいろ書いたし、原作小説も紹介してあるので、今回、変った部分や気になった部分を中心に書いてみる。

 まず、原作では略された、あるいは過去の話などを、取り上げているのが目を引く。それらがほとんど余計なのだ。

 李莫愁の古墓での修行時代、小龍女との交流がある。そして陸展元への恋。
 原作では、過去の話として語られるのみ。
 問題は時期である。陸展元に振られてから、古墓に入ったはず。しかも李莫愁が街へ遊びに行くなど、貨幣文化が入っている。そうなると小龍女が20歳になっても、お金の存在を知らないという設定が成り立たない。だからその場面がない。
 東邪や西毒や北丐などの原作にはない昔話も長い。過去の人である独孤求敗の話まである。原作にない、出てくる老人登場人物の過去のロマンスをでっち上げるが、無駄に思える。
 しかし、できは良いので、切り捨てるのは惜しい。わたしのように原作に惚れ込んでいる人とは違って、原作を読んでいない人は、悪くは思わないのではないか。

 ヒロインの小龍女だが、求婚者が集まるのは16歳の誕生日のとき。原作は18歳である。
 
 第7回で李莫愁が小龍女を「16歳にもなっていない娘に酷だと思わない?」 と言うシーンがある。おそらく15歳であろう。そして第8回で丘処機が「今日はその娘の16歳の誕生日」と言う。
 求婚する人が集まるのは、姉弟子の李莫愁のフェイクニュースによるのだが、李莫愁の方が美人なので、設定が成り立ちにくい。だから美人だけでなく、宝があるというフェイクニュースもつけた。

 4歳年下の楊過は12歳になってしまう。4歳年下という説明はないので、何歳に設定したのだろうか。
 それから余計なことだが、古墓派という言葉が多く出てくる。原作では自ら古墓派とは言っていない。楊過を迎えるときも名は無いといった。
 李莫愁が悪さを繰り返したとき、外の人が古墓派と言っただけだ。

 大人になってから、といっても4年後(のはず)だが、年下のはずの武兄弟の方がかなり年上に見える。
 そればかりではない。登場人物の多くが若い。老人の白い頭髪や髭を黒くすれば、そのまま20代で通用しそう。設定を変えたといえばそれまでだが、旧版の重厚さはなくなった。

 例えれば、旧版がプロの演劇なら、新版は大学の演劇部か。

 それだけに(老人たちも演者は若い)武闘シーンは迫力がある。見応えかある。
 全体的に見て、余計な話が多くて、配役と役者が合わない気がする。
 久しぶりに入った古墓の中が多くの蝋燭の光で明るい。人のいない廊下まで明るく照らしている。点したのを省略したにしても、そんなに多くの蝋燭があるのか。点す意味があるのか。旧版では暗闇であった。暗闇なら納得出来るのだが。

 これは承知の上でやっていると思うのだが、絶情谷の状況が異様である。湖が厚い氷で覆われ、人が歩いて渡れるほど。周りの山々は雪と氷で白く閉ざされている。湖から短い氷の道を通り、絶情谷の門から入ると中は情花の咲き乱れる別世界。高さ十メートルもないと思われる石塀の内側が春景色だ。初夏とも見える。閉ざされた世界ではない。門の内外でこれほど変わるはずがない。話題を提供するために、わざとやっているのかな。
 せめて桃源郷のように、トンネルを通って、小さいながら一山超えればよいが、ここは目の前が凍り付いた湖だ。宴会する場所も回廊だけ屋根のついた露天。せめて部屋の中にしてほしい。
 あとは神Gが気になる。身長だけでも楊過の倍はありそう。体積は八倍か。これが羽ばたいて空へ飛び立つのだ。このことは別なところでも書いたが、この大きさではグライダー滑空で飛ぶしかない。17キロくらいのアホウドリでさえ、羽ばたきでは飛べない。ただし、最後まで設定を忘れなかった。これは褒めてよい。
 原作では体が大きく、羽は抜けていて、飛べないことになっている。
 それにしても大きすぎ。旧版でも大きすぎた。
 飛ぶことをいえば、旧版でもそうだったが、ドラマの設定が人が飛びすぎ。達人は簡単に数十メートルくらいの高飛びをする。原作では屋根に飛び上がる程度。問題は、旧版などは肝心なところで原作に戻ってしまうことだ。ここぞというときに飛べない設定に戻る。これがいつも引っかかっていた。
 今回の新作では、襄陽城のあの郭襄救出の場面まで、設定変更を忘れていなかった。

 小龍女は俗に言う「氷のような女」。孫ばあやが死んでも動じない。
 旧作の劉亦菲の小龍女の場合は、形は動じないようでも優しさが出てしまう。それが金庸先生には不評だったほど。厳しさが求められる。
 新作の小龍女は、はじめからかなり感情が表れて、にっこりしてしまう。とても「氷のような女」ではない。
 かなり美人だ。特に斜め横から見た顔は美しい。ただ真正面から見ると、下が膨れていて、厳しさがない。他を圧倒するような美人ではない。小龍包などと酷評されているが、わたしは美人だと思う。

 郭芙はかなりの美人だが、頭が足りない人物。しかし新作の郭芙役は、容貌が整っていて、眼光もはっきりして、頭の足りない感じには見えない。それなのに言うことなすこと頭が足りない。違和感がある。いままでこの女優を見たのは、多情江山と錦綉未央だが、どちらも表は一歩も二歩も引いていて、実は裏で陰険な陰謀を企てる役だった。その記憶がわたしにあるせいか。
 郭襄役は好評だ。16歳の年齢らしい。違和感が全く無い。姉の郭芙が両親の七光りで威張っているのを、恥ずかしいと感じる感性が光る。

 そして最後の襄陽城の戦いは、楊過と小龍女が神Gに乗って登場する。神Gが空を飛べることにした設定を忘れていなかった。
 問題は襄陽城だ。広い平野の中の大河漢水と堀に囲まれた街のはずだが、ドラマでは両側を山に挟まれた、ダムのような形の城壁。これなら大軍で山道を作れば簡単に破れそう。襄陽城のイメージが違う。

 そして華山の新五絶選び、郭襄の言葉で終わる。

   相思相見知何日 此時此夜難為情
(相い思い相い見ゆるは何れの日か知らん、此の時此の夜情為し難し)
posted by たくせん(謫仙) at 10:46| Comment(0) | 神G侠侶 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする