2021年04月11日

如懿伝

2020.8.5記
2021.4.11追記

如懿伝 (2017)
日本名 如懿伝〜紫禁城に散る宿命の王妃〜

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 瓔珞の嫻妃(継皇后)から見た宮廷物語である。瓔珞でも書いたが、正しくは皇妃。
 主人公の如懿(青桜)役は周迅。あの射G英雄伝(2003)の黄蓉だ。1974年10月18日生まれ、撮影の時は43歳か。これで少女役。
 低くかすれた声(ハスキーボイスという人もいる)は今でも同じだった。
 始めは乾隆帝がまだ宝親王だったときから。宝親王の妻妾選びである。そして乾隆帝となり、紫禁城の後宮に移る。
 後宮内の地理は正確ではない。たとえば皇帝が養心殿から東の延禧宮に行こうとするとき、北の咸福宮の前を通る。かりに咸福宮が延禧宮への途中にあったら、咸福宮の門は左手にあるはず。ところが右手にある。左右が逆であるとか。似たようなことは他でもあった。
 人名も瓔珞とはかなり異なる。こだわっても仕方ないが、つい、この人は瓔珞のあの人に相当などと思ってしまう。
 元々架空の王朝物語を、乾隆帝の時代に設定し直したため、あちこちに無理があるようだ。

 第26回では、葉赫那拉(エホナラ)氏が登場し、李清照の「酔花陰」を歌い舞う場面がある。南宋の詞である。有名な詞であるが、古い曲が残っていたか、後に新たに作曲されたのか気になるところ。
 高晞月の慧貴妃が失脚するところまできた。事実上自分が殺した女の幽霊を見せられる。悪事が重なって露見するところだ。
(ある女に悪事をさせ、ばれたら、「あなたの家族は、私の実家で保護している。あなたの言葉によっては死に絶えるかも」と白状しないように脅す。女は自決する)
 慧貴妃は実家が有力者なため、皇后に次ぐ貴妃となったのだが、みんな貴妃という位と実家の実力に畏まっているのであって、高晞月を敬ってはいない。それを自覚していない事が悲劇を招くことになった。
 ついでに言うと、皇后は地位を守ることに汲々としている。かなり知恵があるが、小心者であるため、バレはしないかと侍婢に相談するほど。そして身を滅ぼすことになる。

 このところ、続けて後宮物を見ている。そこでは大事な秘密の話を、大勢の宮女や宦官に聞こえるところで話す。どうやって○○をはめようとか、いじめようか、どんな毒を盛ろうとか、などという話をするのだ。お約束とはいえ、気になってしまう。おそらく秘密が漏れたら、漏らした人物を消してしまうのだろう。そしておとがめはない。そのことが知れ渡っていて、皆が口を閉ざしていると思われる。しかし、スパイ役もいるのだ。万一の時も口を閉ざしてくれる保証はない。もう少し気を遣えよ、と思うのだ。
 もっとも、そう易々と人を殺すような主の噂は、女官や宦官に知れ渡っているので、仕えるのを嫌がられるのが、ブレーキになっているか。あるいは、善悪にかかわらず、主のことを話すと死ぬことになるとか。
 もっとも、女官や宦官は一緒になって、大声で噂話をしている。このあたりは“お約束”なんだろうな。

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 第26回では、葉赫那拉・意歓(エホナラ氏)が登場し、李清照の「酔花陰」を歌う。
 第57回では、葉赫那拉・意歓は、自死する前に酔花陰を歌う。
 
  薄霧濃雲愁永晝   薄い霧 濃い雲 永き昼を愁い
 これを
  薄霧(うすぎり) 濃雲(こぐも) 永き晝(え)を愁(うれ)い
 としている。

 問題は 晝(ひる)と畫(え)を間違えているところ。
 李清照の詞の一部なので、「永き晝(え)」はおかしいと気づきそうなもの。
 晝は「ひる」なのに「え」と読んだため、文字の間違いに気づかなかったらしい。
 揚げ足取りをしているようで気が引けるが…


 格格は皇族の姫のことだが、親王の妻妾にも使う。親王の妻妾は
     格格 → 庶福晋 → 側福晋 → 嫡福晋
 格格や福晋は満州語。
 清朝の話は、この満州語があるので気を遣う。たとえば皇帝の姓、愛新覚羅をどう読むか。わたしはアイシンギョロと読む。皇后富察はフチャと読む。これなど知らなければ読めない。
 福晋や側福晋をそのまま使っている。漢語に翻訳はしない。漢語と満州語が混じることになる。

 岡崎由美さんは金庸小説の翻訳で、金の趙王の完顔洪烈に「ワンヤンこうれつ」とかなを振っている。本来ワンヤンだが、完顔の字を当てた。洪烈は漢字で洪烈という名をつけた。だから読みは「こうれつ」と、使い分けている。
 テムジンのちのジンギスカンは、原文は鉄木真と思われるが、カタカナ表記にしている。

 音が先か文字が先か。作家の「田 郁」は「かおる」と読む。「かおる」と読むからと薫などと書いてはいけない。菊池寛は「きくちひろし」だがカンと読まれても問題にしなかった。しかし菊地と書かれたらカンカンに怒ったという。
 もっとも将来はどうなるのだろう。王という人がいるが「おうさん」と呼ぶべきか「ワンさん」とよぶべきか。わたしはかながあればかなに沿って、かながなければ普通の日本語読みにしている。身近な人なら本人に訊くだろうな。
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2021年03月09日

明蘭

2021.2.15記
2021.3.9追記
明蘭〜才媛の春〜
  mei.jpg
 いま、チャンネル銀河で、「明蘭〜才媛の春〜」が放送されている。第20回まで見た。
 BS11でも放送されたようだが、わたしは見ていない。
 内容は、
 盛家の娘・明蘭は母親の身分が低かったことから、父親から愛情を得られず、盛家の正妻や姉妹たちにも虐げられて育った。
 亡き母の教えを守り、自分の才気を隠して耐え忍び成長した明蘭は、やがて子供の頃に知り合った寧遠候府の御曹司・顧廷Yに見初められて顧家の女主人になり、夫を支え優れた才知を発揮していく。

 宋の仁宗(じんそう)時代の物語。
 原題は 知否?知否?應是緑肥紅痩 というのだが、そういう小説があるという。上の説明はその小説の説明らしく、ドラマでは「亡き母の教え」ははっきりしない。

 さて、わたしが原題を一目みて驚いたのは、應是緑肥紅痩は李清照の詞「如夢令」であることだ。だが、内容は李清照の話ではなかった。
参考 李清照

    如夢令   李清照
  昨夜雨疎風驟  昨夜、雨は疎にして風驟く
  濃睡不消残酒  濃い睡りにも残酒は消えず
  試問捲簾人   簾を捲く人に問うてみれば
  却道海棠依舊  却って海棠は舊(きゅう)に依ると道(い)う
  知否      知るや否や
  知否      知るや否や
  應是緑肥紅痩  應に是れ緑肥え紅痩せるべし

 エンデングの歌では、次のように訳している。

  深く睡れど残り酒は消えず
  海棠は咲いたままと言うけれど
  知るや知らずや
  花は散り、残るは茂る葉だけ


 昨晩の雨風で、詞人は庭の海棠の花を心配しているのに、下女は昨日と同じですよと答える。そんなはずはないのに。
 ここは、「花は散り、残るは茂る葉だけ」と言うより、「花は少なくなり、みどりがめだつ」と言う意味だろう。

 このドラマは好評のようだ。最近は大勢の美人女優による後宮ものばかり見ていて、いささか飽きてきたが、これもその流れかな。
 周迅が主役の如懿伝でも、李清照の「酔花陰」が出てきた。こう見ると、李清照は現在でも知られた詞人らしい。この主人公は如夢令を思わせるような人生を歩むのだろうか。興味を引いたので、見終わらずに紹介する。

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2021.3.9追記
 中国では一般に女性を教育することは少ない。その中で李清照は子供のときから文藝に親しんだ。両親もそのように教育した。
 この物語の盛家では娘たちにも教育を施している。他家の男子たちと一緒だ。その結果、明蘭は少女ながら盛一家の管理を任されることになる。
 明蘭は様々な技能を習得しているが、それを知っているのは祖母だけ。なぜ明蘭が管理を任されることになったのか、祖母だけが知っている。一時、娘たちの教育係になった女性も明蘭の資質を見抜いていた。
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2020年07月23日

錦綉未央

錦綉未央
日本名 (王女未央BIOU)
   2017.12.29.jpg

2018年01月06日 記
2020年07月23日 改訂
 
 このドラマは武侠ではなく、時代劇である。全54回。
 だだし第一回目をはじめ、時々武侠場面がある。空中浮揚あり、空を飛ぶシーンがある。それゆえ武侠に分類する。

 中国の南北朝時代の北朝の物語である。北涼(439年に亡国)の王女であった馮心児(ふう・しんじ)が、行き倒れていたところ、李未央(り・びおう)に助けられる。
 李未央は同家の李敏峰の放った暗殺者に殺されてしまう。
 馮心児は李未央の仇討ちのため、さらに叱雲南(しつうん・なん)に一族を殺された復讐を果たすため、旧敵国の宮廷へ、有力者の李家へ李未央になりすまして入る。
 李敏峰を除くことに成功。李家の力が弱まったあたりで、叱雲家(李家当主の妻の実家)の南が登場、これこそ目指す北涼の仇だった。だが南の後ろには真の仇がいた。
 第30回あたりで、李未央の正体をかなりの人が知るようになる。
 皇帝家拓跋(たくばつ)氏の次代を巡る争い。さらに未央(馮心児)も含む李家の娘たちを巻き込んだ愛憎劇。それらの問題を克服して、馮心児は皇后の座を勝ち取っていく宮廷歴史ドラマ。
 北魏は拓跋(たくばつ)氏の国である。名から判るように塞外民族である。

 北涼が滅びるところから物語は始まる。
 はじめに事故で多くの天灯(灯籠)が浮かび上がってしまうシーンがある。馮心児はそれを捕ろうと二階ほどの高さまで飛び上がり、さらに横に動いたりする。空中浮揚だ。
 わたしは「武侠ドラマ」とは、武侠の本来の意味に加えて、時代SFでもあると思っている。エスパーの超能力の戦いだ。だから馮心児は、空中を飛ぶことができるエスパーと思った。こういう設定の武侠物かと思っていたら、後は普通のドラマだった。そんな能力があるなら、いくつかの危機は乗り越えられたはず。
同じように能力者が多く、これはエスパーだという場面も多いが、武闘場面を強調しただけで、話の本筋を変えるほどではない。
 さらにいえば、武侠物の戦いのシーンは、迫力があってもあまり興味は無い。なぜ戦いになったのか。避けられなかったのか。結果はどうなったのか。それが後にどんな影響を及ぼすのか。それらのことに関心がある。
 特に、能力と行動に矛盾はないか。例えば30メートル跳べる人が、肝心なところで10メートルを跳べない、などということはないか。場面によって設定を変えていないかは気にする。

 未央の読みだが、中国語ではwèi yāng (wei4 yang1)しか出てこない。どうして「BIOUびおう」となったのだろう。
 「びおうさま」もほとんどは「小姐xiao3 jie3」であり、「未央殿」は「未央姑娘wei4 yang1 gu1 niáng2」であり、biouは出てこない。未を「び」と読む例を探したら未央柳(ビヨウやなぎ、ビオウではなくビヨウ)の例があった。美容柳のこと。(もっとも美容柳は別名で未央柳が本名)未央柳は「柳」までそろってはじめてビヨウと読めるのではないか。
(このことについて下のコメントを見てください。未央をビオウと読む例が古くからありました。昔はそう読んだのか。漢和大字典では例外的に「未央」の場合だけ「ビ」と読む例が例が載っています)
 それからいつも桜(のような花)が満開で、銀杏(のような葉が)が紅葉(黄色です)しているのが気に掛かる。

 439年に北涼が滅んで、この頃から南北朝時代(439−589)になる。
 北朝は鮮卑拓跋部の魏(北魏)が386年−534年。
 このドラマの時代は第三代の世祖太武帝(拓跋Z(とう)、在位423−452)の時代である。
 太武帝は華北を統一した。北涼が滅んだのもこのとき。
 初代太祖道武帝、二代太宗明元帝につづき、三代目になる。
 第三代太武帝の孫の拓跋濬(しゅん、第四代文成帝、在位452−465)と未央の出会いから、複雑ないきさつをえて文成帝が即位するまでの物語。(第五代献文帝の即位までもあるが)
 未央が「濬」を筆で書くとき、「浚」と書く。これは代用する習慣があったか。ただし勅令などは「濬」を使っている。

 歴史では、南安隠王(拓跋余、在位:452)が第4代であるが、在位は1年に満たず、帝号はない。だから、拓跋濬(在位452−465)は第5代であるが第四代文成帝とされる。

 創作された物語なので、歴史として引用するときは注意が必要。もっとも歴史も「勝者が自分の思うように書く」ので正しいわけではない。
 すでに亡くなっていた濬の父は景穆帝と追号されているが、代数には入らない。
 物語の後、文成帝の没後に第五代献文帝が即位し、未央(馮心児ふう・しんじ)は馮太后と呼ばれることになる。
 献文帝(在位465−471)は幼帝であったので、母(義母)の馮太后に実権があった。なお、馮太后が献文帝を毒殺したという。
 いろいろ調べていると、死の順序や各皇子の性格など、この物語とはかなり様相が異なる。この当時南朝は宋であるが、趙匡胤の宋とは違うので注意。
 撮影場所は横店の秦王宮(撮影所)が使われている。

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 太極殿や、脇の渡り廊下が盛り上がった場所など何度も出てくる。

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 この物見櫓のような建物も特徴がある。

参考 南北朝時代
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2020年06月17日

宮廷の諍い女

 原題 後宮・甄嬛伝 (2012)  全76回

 いやいやながら後宮に入った甄嬛(シンケイ)の後宮物語。
 原作は架空の時代だが、このドラマでは清の雍正帝の時代としている。
 雍正年間となれば、相当する女性に合わせて、それなりに形式を整えねばならないが、甄嬛(シンケイ)のモデルはいないようだ。これが瓔珞(エイラク)とは異なる。
 雍正帝の父の康煕帝は61年間在位した。そのため息子たちは高齢で、雍正帝の即位は45歳のときである。そのときすでに次の乾隆帝(四阿哥弘暦)は生まれていた。(この弘暦が優れていたたため、父の雍正帝が皇帝になれたとも言われている。このドラマではその話はない)
 雍正帝は勤勉な皇帝として知られている。在位は14年に満たない。そのためか、この物語では、権力の掌握が進まず、功績ある将軍の妹である華妃の横暴を押さえられない。
 そんな時代の、後宮の争いである。瓔珞はやられたら、とっさの機転でやり返すが、その内容はすこぶる危うい。戦術的に強いということか。甄嬛伝はそのスパンが長い。しかも機会は巧みに捉えるが、罠を仕掛けるようなことは少ない。そのため瓔珞と比べれば、初期はだれを感じることもある。しかし、途中から甄嬛(シンケイ)は変わっていく。
 後宮に入るのは、無期限で拘置所に入るようなもの。夫である皇帝も権力者としての魅力しかなく、心から愛しているわけではない。皇帝が通わなくなれば、拘置所と変わらない。
 甄嬛(シンケイ)は莞嬪として住むところは碎玉軒だが、これはどこか不明。一度出家して戻って来たときは、熹妃として永寿宮に住むことになる。そこは養心殿(皇帝の住まい)のすぐ後ろである。ただしこのドラマが各宮の位置関係を反映しているかは不明。

 このドラマでも皇后の権力は弱く、高官の血族の皇妃が、位は低くても事実上の権力を握って横暴を極めている。皇帝は高官の協力を得るために、それを認めざるを得ない。
 高官が権力を失うと、親族の皇妃も力をなくす。瓔珞にも似た話があった。
 ただし甄嬛伝の皇后はかなり悪辣で、皇太后が、皇后によって愛新覚羅(皇帝家)の血統が途絶えてしまうと、嘆く場面があるほど。

 半ばから甄嬛がかなり変わってきた。後宮では耐えているだけでは、生きていけない。積極的に攻勢に出よう。出家して戻るときは、情を捨てることを誓う。その後は全て権力争いに通じる。
 策を巡らすが、それがかなり戦略的だ。目が離せなくなった。初めにだれを感じたのが収束して行くような感じだ。
 単なる後宮の争いではない。エイラクよりも武則天に近いか。なお雍正帝は道教の怪しげな薬(実体は毒薬)に頼り、60歳前に衰えて死ぬことになる。
 雍正帝の最期は悲惨だ。皇族が女官を暴行しようとし、逃げられるが、なんと皇帝は女官を死罪にしてしまう。そのために身の危険を感じた甄嬛は、毒を飲まされた皇帝を見殺しにしてしまう。手を下したと言っても間違いではない。
 最後は甄嬛の美しさに圧力を感じるほどだ。 

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 以下は妃嬪の結末である。☆は生涯を全うした者。★途中で不慮の死を遂げた者やそれに近い者。△はどちらとも言えない者。位階は上下に変化するが、その代表的な位階。

   官女子/答応→常在→貴人/→嬪→妃→貴妃→皇貴妃→皇后

☆ 莞嬪(甄嬛) →熹妃→熹貴妃→副皇后→聖母皇太后
★ 恵妃(沈眉荘)靜和公主を産むものの死去。最後まで莞嬪を助ける。
★ 安嬪(安陵容)→鸝妃 監禁の後、自害。
★ 華妃   →年答応→冷宮送りの後死罪。
       こどもに恵まれない。これには理由があった。
★ 皇后   事実上の離別となり、終生景仁宮に監禁。死去。
★ 夏常在  冷宮送り
☆ 欣貴人  欣太嬪となり最終回まで生存、目立たない。
★ 祺貴人  冷宮送り→庶人→撲殺
☆ 端妃   →皇貴妃→皇貴太妃  養子温宜公主(実母は曹貴人)
☆ 敬嬪   →敬妃→敬貴妃→敬貴太妃 養子朧月公主(実母は甄嬛)
★ 斉妃   自害 
★ 曹貴人  毒殺 
★ 余答応  処刑
★ 麗嬪   冷宮送り
★ 富察貴人 恐怖のあまり気が狂い、その後は不明。
△ 芝答応   官女に戻った。その後不明。
★ 淳常在  17歳で殺される。
★ 瑛貴人  死罪
★ 寧貴人  自害
★ 貞嬪   死罪
★ 康常在  死罪
★ 孫答応  死罪

 圧倒的に、まともに人生を送れなかった者が多い。
posted by たくせん(謫仙) at 10:15| Comment(0) | 武侠世界 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年05月30日

瓔珞(エイラク)

瓔珞(エイラク)〜紫禁城に燃ゆる逆襲の王妃〜
原題 延禧攻略  全70話(2018)

2020.3.2 記
2020.5.30 加筆

   2020.2.21.1.jpg

 清朝乾隆帝の時代。後宮では陰謀が渦巻いていた。ほとんどの話は創作と思われるが、どこまで本当か気になってしまう。なお王妃ではなく皇妃である。

 皇后は富察(フチャ)氏であるが、子を亡くして失意の底にあり、高貴妃(こうきひ)が寵愛されていた。寵愛を受けると、事実上の権力も移る。問題は女官の生殺与奪の権力まであることだ。理由は適当でよい。まるで戦国時代だ。
 ここに新米の女官として魏瓔珞(ぎえいらく)が入ってくる。亡くなった姉の死の原因を探る。その間にいろいろといじめを受けるが、常にそれを上回る知略で、相手を追い詰めていく逆転劇が痛快である。
 倍返しだとは言わないが、女性版“半沢直樹”だ。
 高貴妃や皇后など、高位の女性が次々と陰謀で死んでいく。多くの女官や宦官の死はペットの死と同じで、問題にもならない。清の最盛期の乾隆帝の時代なのに、後宮はけっこうお粗末。
 魏瓔珞のモデルは魏佳氏の令皇貴妃で、名は不明。没後、子の永琰が皇太子に立てられたことで孝儀(純)皇后と追贈された。四子二女とこどもに恵まれる。
   貴人→嬪→妃→貴妃→皇貴妃
 皇后富察(フチャ)氏の女官になる。魏佳氏が貴人→嬪になってから皇后富察氏は亡くなるが、この物語では富察氏の死後に嬪になる。

 悪辣な継皇后ホイファナラ氏(輝発那拉氏)をどう追い詰めるか、が後半の興味の中心になっている。史実では継皇后ホイファナラ氏は後に廃される。原因は不詳。
 物語では、ホイファナラ氏はまともで従順だったが、間接的に高貴妃によって、両親と兄が死ぬことになり、いつか心を鬼にする。

 一時、順嬪が登場して、問題を起こし、それを継皇后が利用するが、苦心の末解決する。そして瓔珞は身ごもる。そして継皇后と休戦協定を結ぶ。
 継皇后は人を巧みにそそのかすが、決して自らは手を下さないため、10年以上にわたって後宮は平和を維持することになる。
 十五男:永琰(嘉慶帝)も生まれ、この頃が「還珠格格」の物語の時代に重なる。

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 乾隆帝の出自は海寧の銭家であるという、そんな俗説がある。金庸小説では、海寧の陳家としている。
  参考 塩官と陳家

 この乾隆帝は一応名君と言われている。しかしこの話の後宮といい、失敗を重ねた遠征も成功と宣伝したり(十全武功)、また、和珅(わこんヘシェン)という貪官を重用したり、けっこう問題も多い。
 嘉慶帝が後を継ぐと和珅の罪を追及した。没収した財産は国家の歳入の十年分以上だったという。これだけ賄賂をむさぼる役人は空前絶後であろう。乾隆帝の時代はそんな問題の多い時代である。
 乾隆帝の浪費がたたって(?)、清は衰退に向かう。

 続いて、後宮の地図を載せたが、この様子が判らないと、物語の意味が判りにくいから。AからBに行くとき、途中で寄り道してCに行くことがある。寄り道できる場所なのか気になることがある。
    紫禁城 後宮見取り図

   魏佳氏(ウェイギャ氏) 略歴
雍正 5年(1727)魏佳氏出生、乾隆帝16歳。
乾隆10年(1745)正月23日魏貴人となる。11月17日令嬪となる。
  乾隆13年 3月11日、富察皇后死去。
乾隆13年(1748)5月、令妃となる。
乾隆22年(1757)正月、南巡に同行。
乾隆24年(1759)11月20日、令貴妃となる。
乾隆25年(1760)10月6日、令貴妃は皇十五子の永琰(えいえん)出生。後の嘉慶帝である。
乾隆27年(1762)正月、南巡に同行。
乾隆30年(1765)正月15日,南巡に同行。5月10日,皇貴妃となる。
  乾隆30年 継皇后ホイファナラ氏(輝発那拉氏)江南で皇帝の怒りを買う。
  乾隆31年 継皇后 死去。
乾隆36年(1771)2月、泰山及曲阜に同行。
乾隆38年(1773)冬至,13歳の永琰が皇太子になる。ただし清朝では発表しない。
乾隆40年(1775)正月29日、死去、49歳。10月26日,金棺奉安裕陵。
乾隆60年(1795)9月3日、永琰を皇太子とし(発表か)、母の魏佳氏は孝儀純皇后に追封される。

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このドラマに対する、びっくりするほどの細かい考察を見た。
宣和堂遺事
延禧攻略の小ネタ(宮訓圖十二幀と遮陰侯)https://sengna.com/2020/05/03/yanxi1/
延禧攻略の小ネタ2(オシャン収賄事件)https://sengna.com/2020/05/10/yanxi2/
延禧攻略の小ネタ3(茘枝、清朝と犬)https://sengna.com/2020/05/16/yanxi3/
延禧攻略の小ネタ4 吃肉分福と怡僖親王・弘暁 https://sengna.com/2020/05/24/yanxi4/

 宣和堂遺事は目次がないため、いままでどんなことを書いていたか判らないが、中国史の細かいことを知ろうとすると検索に出てくるので、注目しているブログだ。
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2020年02月24日

紫禁城 後宮見取り図

瓔珞(エイラク)のための紫禁城の後宮見取り図

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1 養心殿 乾隆帝
2 慈寧宮 (康煕帝時代の皇太后宮)
9 寿康宮 皇太后
3 長春宮 孝賢純皇后 富察氏(フチャ)
4 延禧宮 令皇貴妃 魏佳氏(ウェイギャ)(ドラマでは瓔珞(エイラク))
5 儲秀宮 慧賢皇貴妃 高佳氏(ガオギャ)(ドラマでは高貴妃)
6 承乾宮 嫻妃→継皇后 輝発那拉氏(ホイファナラ)
7 永和宮 怡嬪 自害(第2回)
      愉貴妃 珂里葉特氏(ケリェテ)
8 鐘粋宮 純恵皇貴妃 蘇氏
10 麗景軒 順嬪 今は亡き高貴妃の儲秀宮のうしろ

5と8の上にも細かく建物があるが、省略している。
11 還珠格格の漱芳斎はこのあたり。別な話だが参考のため。
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2019年12月31日

唐磚

唐磚(とうせん)
日本名 大唐見聞録 −皇国への使者−

     19.12.23.2.jpg

 タイムスリップもの。
 発掘調査に救護班として参加していた雲不器が穴に落ちて、その先は唐の時代だった。
 背中のリュックは救急セットが入っている。リュックは墓標の側に埋めて砂漠の中を歩き出す。

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 砂の砂漠の中の一軒家って、そんなところに家があるのか。庭には大木が一本。砂漠に育つか。ともかくそこに入って二人の男に襲われたのを、若い女、李安瀾に助けられる。この娘は太宗の知られていない長女だった。お定まりで恋仲になる。そこには水や燃料がある。どこから持ってきたのだ。
 そこに、唐太宗の太子たちの軍が入ってきた。
 製塩して喜ばれ、点滴の要領で輸血して太子を助ける。救護班だから注射器など持っていたのだろう。一応血液型チエックなどはする。
 雲不器はすんなり唐太宗の時代に溶け込んで、太宗に重用される。

 バッタの害に、バッタを食用にすることで対処する。わずかを食用にしたくらいで、どうにもなるものでもないのに。
 食糧不足の軍にインスタントラーメンを提供する。何らかの方法で現代と交易ができたのかと思ったら、そうではない。では、そんなに大量のインスタントラーメンをどうやって作ったのか、その材料はどこから? 食料が不足して困っているのだ。材料の小麦粉があれば、食糧不足にはならない。
 そんな風にあちこちに矛盾がある。舞台設定のタイムスリップや言葉が通じるのは仕方ないとして、それ以外の普通の部分は矛盾してはいけない。トンデモ化してしまうではないか。ところがこのドラマではそこがおもしろい。
 コミック化しているが、このドラマの底には玄武門の変がある。太宗が兄と弟を殺し、父の初代皇帝を隠居させたクーデター事件だ。それを知っている太子も同じことを考える。そして失敗する。だから結構重さがある。影がある。
 李安瀾は玄武門の変で母親を殺された。殺したのは誰か。これがこの物語の中心となる謎だ。
 最後は重臣の侯君集が太子を担いでクーデターをおこす。それを雲不器の奇策で防ぐ。そして雲不器は死んだと思われる。ところがはじめの、あの現代の穴の底に、無傷で帰っていた。夢を見ていたような形だ。周りの古物には唐代に自分で使用した想い出の品がある。

 問題点が多く、タイムスリップの諸問題を克服したとはいえない。だからコミックになってしまう。インフラの不備・言葉・文字(篆書体)・衣食住の貧しさなど、タイムスリップものは、それらの問題の解決がついてまわるのだ。
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2019年12月24日

蘭陵王妃

ドラマ 蘭陵王妃
日本名 王と皇帝に愛された女

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 あの有名な北斉の蘭陵王の妃だが、これは実話か。つまりモデルがいたのか。

 北斉の端木怜(たんもく・れい)は、始皇帝の時代に“天羅地宮(てんらちきゅう)”を建立した端木吉(たんもく・きつ)の血を継ぐ末裔。始皇帝による天下統一の秘密が隠されたこの建物への入宮には、三種の神器の1つ“鎮魂珠(ちんこんじゅ)”が必要だった。
 これを探りに北周の宇文邕(うぶん・よう)に嫁ぐが、事故で記憶を失ってしまう。
 この俳優は演技はうまいとはいえない。舞は本格的だった。調べたら歌手だった。物語もあり得ない設定が多い。端木怜が北周の都から北斉へ行こうとするが、荷物もなく、ひらひらの衣装で、ひとりで山道を歩いている。いったい何日かかると思っているのだろう。
 かというと、戦いの場面はけっこう迫力がある。
 初めの数回をみて、おもしろくないなと、最後を見たら意外な展開なので、中も見ることにした。
 わたしが注目したのは、宇文護が明帝を殺すがどうやったのか。宇文護はどうして自分が皇帝にならず宇文邕を武帝にしたのか。武帝は12年間耐えて、宇文護を誅殺するがそのいきさつはどうだったのか。

 念のため、北周の年代を書いておく。
556年−557年 孝閔帝 1年
557年−560年 明帝 3年
560年−578年 武帝 18年
572年       宇文護 誅殺

 573年 蘭陵王死す
 577年 北斉滅ぶ
578年−579年 宣帝 1年
579年−581年 静帝 2年


 ところが、なんと武帝が即位してまもなくの宴会をきっかけに、武帝宇文邕と宇文護が争い、宇文護が死ぬことになる。この戦いは、双方が準備して仕掛けた。12年間をパスしたのだ。ここは時間経過が曖昧。皇帝に擁立してくれた礼を改めて12年後に行った。という解釈もできる。この場合は端木怜の年齢が問題になりそうだ。

 天羅地宮の設定などおもしろいアイディアと思ったが、肩すかしをくらう。天羅地宮のからくり仕掛けはびっくりするが、中身はくだらない。「始皇帝による天下統一の秘密」などという大げさなものではない。
posted by たくせん(謫仙) at 16:39| Comment(0) | 武侠世界 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする