2019年03月21日

神雕侠侶・新版(于正版神G侠侶)

神雕侠侶・新版(神G侠侶)(監督:李慧珠)(于正版神G侠侶)

楊過:陳暁
小龍女:陳妍希

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 ドラマ神雕侠侶・新版(神G侠侶)(監督:李慧珠)を見た。
 旧版(2006年版・張紀中版)についてはいろいろ書いたし、原作小説も紹介してあるので、今回、変った部分や気になった部分を中心に書いてみる。

 まず、原作では略された、あるいは過去の話などを、取り上げているのが目を引く。それらがほとんど余計なのだ。

 李莫愁の古墓での修行時代、小龍女との交流がある。そして陸展元への恋。
 原作では、過去の話として語られるのみ。
 問題は時期である。陸展元に振られてから、古墓に入ったはず。しかも李莫愁が街へ遊びに行くなど、貨幣文化が入っている。そうなると小龍女が20歳になっても、お金の存在を知らないという設定が成り立たない。だからその場面がない。
 東邪や西毒や北丐などの原作にはない昔話も長い。過去の人である独孤求敗の話まである。原作にない、出てくる老人登場人物の過去のロマンスをでっち上げるが、無駄に思える。

 ヒロインの小龍女だが、登場するときはなんと14歳。これで求婚する人が集まるのだが、少し無理っぽい。原作は18歳なので自然である。
 求婚する人が集まるのは、姉弟子の李莫愁のフェイクニュースによるのだが、李莫愁の方が美人なので、設定が成り立ちにくい。
 4歳年下の楊過は10歳になってしまう。4歳年下という説明はないので、何歳に設定したのだろうか。
 大人になってから、といっても4年後(のはず)だが、年下のはずの武兄弟の方がかなり年上に見える。
 そればかりではない。登場人物の多くが若い。老人の白い頭髪や髭を黒くすれば、そのまま20代で通用しそう。設定を変えたといえばそれまでだが、旧版の重厚さはなくなった。

 例えれば、旧版がプロの演劇なら、新版は大学の演劇部か。

 それだけに武闘シーンは迫力がある。見応えかある。
 全体的に見て、余計な話が多くて、配役と役者が合わない気がする。
 久しぶりに入った古墓の中が多くの蝋燭の光で明るい。人のいない廊下まで明るく照らしている。点したのを省略したにしても、そんなに多くの蝋燭があるのか。点す意味があるのか。旧版では暗闇であった。暗闇なら納得出来るのだが。

 これは承知の上でやっていると思うのだが、絶情谷の状況が異様である。湖が厚い氷で覆われ、人が歩いて渡れるほど。周りの山々は雪と氷で白く閉ざされている。湖から短い氷の道を通り、絶情谷の門から入ると中は情花の咲き乱れる別世界。高さ十メートルほどと思われる石塀の内側が春景色だ。初夏とも見える。閉ざされた世界ではない。門の内外でこれほど変わるはずがない。話題を提供するために、わざとやっているのかな。
 せめて桃源郷のように、トンネルを通って、小さいながら一山超えればよいが、ここは目の前が凍り付いた湖だ。宴会する場所も回廊だけ屋根のついた露天。せめて部屋の中にしてほしい。
 あとは神Gが気になる。身長だけでも楊過の倍はありそう。体積は八倍か。これが羽ばたいて空へ飛び立つのだ。このことは別なところでも書いたが、この大きさではグライダー滑空で飛ぶしかない。17キロくらいのアホウドリでさえ、羽ばたきでは飛べない。
 原作では体が大きく、羽は抜けていて、飛べないことになっている。
 それにしても大きすぎ。旧版でも大きすぎた。
 飛ぶことをいえば、旧版でもそうだったが、ドラマの設定が人が飛びすぎ。達人は簡単に数十メートルくらいの高飛びをする。原作では屋根に飛び上がる程度。問題は、従来は肝心なところで原作に戻ってしまうことだ。ここぞというときに飛べない設定に戻る。これがいつも引っかかっていた。
 今回の新作では、襄陽城のあの郭襄救出の場面まで、設定変更を忘れていなかった。

 小龍女は俗に言う「氷のような女」。孫ばあやが死んでも動じない。
 旧作の劉亦菲の小龍女の場合は、形は動じないようでも優しさが出てしまう。それが金庸先生には不評だったほど。厳しさが求められる。
 新作の小龍女は、はじめからかなり感情が表れて、にっこりしてしまう。とても「氷のような女」ではない。
 それなりに美人だ。特に斜め横から見た顔は美しい。ただ真正面から見ると、下が膨れていて、厳しさがない。他を圧倒するような美人ではない。小龍包などと酷評されている。

 郭芙はかなりの美人だが、頭が足りない人物。しかし新作の郭芙役は、容貌が整っていて、眼光もはっきりして、頭の足りない感じには見えない。それなのに言うことなすこと頭が足りない。違和感がある。いままでこの女優を見たのは、多情江山と錦綉未央だが、どちらも表は一歩も二歩も引いて、実は裏では陰険な陰謀を企てる役だった。その記憶がわたしにあるせいか。
 郭襄役は好評だ。16歳の年齢らしい。違和感が全く無い。姉の郭芙が両親の七光りで威張っているのを、恥ずかしいと感じる感性が光る。

 そして最後の襄陽城の戦いは、楊過と小龍女が神Gに乗って登場する。神Gが空を飛べることにした設定を忘れていなかった。
 問題は襄陽城だ。広い平野の中の大河漢水と堀に囲まれた街のはずだが、ドラマでは両側を山に挟まれた、ダムのような形の城壁。これなら大軍で山道を作れば簡単に破れそう。襄陽城のイメージが違う。

 そして華山の新五絶選び、郭襄の言葉で終わる。

   相思相見知何日 此時此夜難為情
(相い思い相い見ゆるは何れの日か知らん、此の時此の夜情為し難し)
posted by たくせん(謫仙) at 10:46| Comment(0) | 神G侠侶 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年12月27日

錦綉未央

錦綉未央
日本名 (王女未央BIOU)
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2018年01月06日 記
2018年12月27日 改訂
 
 このドラマは武侠ではなく、時代劇である。全54回。


 中国の南北朝時代の北朝の物語である。北涼(439年に亡国)の王女であった馮心児(ふう・しんじ)が、行き倒れていたところ、李未央(り・びおう)に助けられる。
 李未央は同家の李敏峰の放った暗殺者に殺されてしまう。
 馮心児は李未央の仇討ちのため、さらに叱雲南(しつうん・なん)に一族を殺された復讐を果たすため、旧敵国の宮廷へ、有力者の李家へ李未央になりすまして入る。
 李敏峰を除くことに成功。李家の力が弱まったあたりで、叱雲家(李家当主の妻の実家)の南が登場、これこそ目指す北涼の仇だった。だが南の後ろには真の仇がいた。
 第30回あたりで、李未央の正体をかなりの人が知るようになる。
 皇帝家拓跋(たくばつ)氏の次代を巡る争い。さらに未央(馮心児)も含む李家の娘たちを巻き込んだ愛憎劇。それらの問題を克服して、馮心児は皇后の座を勝ち取っていく宮廷歴史ドラマ。
 北魏は拓跋(たくばつ)氏の国である。名から判るように塞外民族である。

 北涼が滅びるところから物語は始まる。
 はじめに事故で多くの天灯(灯籠)が浮かび上がってしまうシーンがある。馮心児はそれを捕ろうと二階ほどの高さまで飛び上がり、さらに横に動いたりする。空中浮揚だ。
 わたしは「武侠ドラマ」とは、武侠小説の本来の意味に加えて、時代SFでもあると思っている。エスパーの超能力の戦いだ。だから馮心児は、空中を飛ぶことができるエスパーと思った。こういう設定の武侠物かと思っていたら、後は普通のドラマだった。同じように能力者が多く、これはエスパーだという場面も多いが、武闘場面を強調しただけで、話の本筋を変えるほどではない。
 さらにいえば、武侠物の戦いのシーンは、迫力があってもあまり興味は無い。なぜ戦いになったのか。避けられなかったのか。結果はどうなったのか。それが後にどんな影響を及ぼすのか。それらのことに関心がある。
 特に、能力と行動に矛盾はないか。例えば30メートル跳べる人が、肝心なところで10メートルを跳べない、などということはないか。場面によって設定を変えていないかは気にする。

 未央の読みだが、中国語ではwèi yāng (wei4 yang1)しか出てこない。どうして「BIOUびおう」となったのだろう。
 「びおうさま」もほとんどは「小姐xiao3 jie3」であり、「未央殿」は「未央姑娘wei4 yang1 gu1 niáng2」であり、biouは出てこない。未を「び」と読む例を探したら未央柳(ビヨウやなぎ、ビオウではなくビヨウ)の例があった。美容柳のこと。(もっとも美容柳は別名で未央柳が本名)未央柳は「柳」までそろってはじめてビヨウと読めるのではないか。
(このことについて下のコメントを見てください。未央をビオウと読む例が古くからありました。昔はそう読んだのか。漢和大字典では例外的に「未央」の場合だけ「ビ」と読む例が例が載っています)
 それからいつも桜(のような花)が満開で、銀杏(のような葉が)が紅葉(黄色です)しているのが気に掛かる。

 439年に北涼が滅んで、この頃から南北朝時代(439−589)になる。
 北朝は鮮卑拓跋部の魏(北魏)が386年−534年。
 このドラマの時代は第三代の世祖太武帝(拓跋Z(とう)、在位423−452)の時代である。
 太武帝は華北を統一した。北涼が滅んだのもこのとき。
 初代太祖道武帝、二代太宗明元帝につづき、三代目になる。
 第三代太武帝の孫の拓跋濬(しゅん、第四代文成帝、在位452−465)と未央の出会いから、複雑ないきさつをえて文成帝が即位するまでの物語。(第五代献文帝の即位までもあるが)
 未央が「濬」を筆で書くとき、「浚」と書く。これは代用する習慣があったか。ただし勅令などは「濬」を使っている。

 創作された物語なので、歴史として引用するときは注意が必要。もっとも歴史も「勝者が自分の思うように書く」ので正しいわけではない。
 すでに亡くなっていた濬の父は景穆帝と追号されているが、代数には入らない。
 物語の後、文成帝の没後に第五代献文帝が即位し、未央(馮心児ふう・しんじ)は馮太后と呼ばれることになる。
 献文帝(在位465−471)は幼帝であったので、母(義母)の馮太后に実権があった。なお、馮太后が献文帝を毒殺したという。
 いろいろ調べていると、この物語とはかなり様相が異なる。この当時南朝は宋であるが、趙匡胤の宋とは違うので注意。
 撮影場所は横店の秦王宮(撮影所)が使われている。

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 太極殿や、脇の渡り廊下が盛り上がった場所など何度も出てくる。

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 この物見櫓のような建物も特徴がある。

参考 南北朝時代
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2018年09月18日

今年のドラマは(秀麗江山、武媚娘傳奇、那年花開月正円)

 今頃、「岡崎由美先生と行く中国の旅」の一行は、少林寺で練功をしているだろうか。それとも開封府で、包青天を偲んでいるだろうか。
 わたしは残念ながら、今年の「岡崎由美先生と行く中国の旅」は断念した。去年の秋から急に足の力が衰えたのである。とても歩けそうにない。
 もっとも先日の会津若松では、旧白河街道の滝沢本陣から金堀までの山道を、一時間四十分で歩いたのだから、全く歩けないというわけではない。

 「多情江山」以来、いままでに見た(見ている)武侠的ドラマがある。

「秀麗江山」(日本名は秀麗伝)というドラマがある。後漢の光武帝と陰麗華の愛の物語であるが、半武侠といえよう。
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 陰麗華役の俳優が「還珠格格」で夏紫薇を演じた林心如である。

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 還珠格格より
 左から、小燕子:趙薇、夏紫薇:林心如、金鎖:范冰冰。
 この頃はまだ少女なので、三人とも「かわいい」が先に立つ。
 いまは林心如も大人になったとはいえ、「かわいい」ころの表情が各所に出てくる。

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 もう見終わってしまったが「武媚娘傳奇」(武則天)では范冰冰が主役の武媚であった。「還珠格格」では夏紫薇の侍女役であった。今では中国一の美人女優になった。年収四十億円を超えるという。金鎖のころの表情はほとんどなく、いわれないと判らないほど変貌している。
 これは武侠的部分は少ない時代劇。もちろん創作が多く、歴史としてみてはいけない。
(10/7追記:先日のニュースでは、行方不明だったが、四ヶ月ぶりに登場し、脱税の疑いで146億円の税や罰金が科せられたという)

 もう一つ「那年花開月正円(月に咲く花の如く)」。これは清朝時代の商人の物語だ。
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 清朝末期に実在し、中国の近代化に貢献した女性豪商・周瑩(しゅうえい)の愛と成功を描いた歴史ドラマ。これはおもしろい。
 主役の周瑩を演じるのは孫儷(スン・リー)。わたしはこのドラマで初めて見た、知った。范冰冰に次ぐ美人女優という。
 わたしは芸能界情報にはほとんど興味がないので、これらの女優たちが今どうなのか、過去どうだったのか、ほとんど知らない。
 この三作のドラマは、侠とはいえないがお勧めである。
posted by たくせん(謫仙) at 06:46| Comment(0) | 武侠世界 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年03月13日

楊旭文版 射G英雄伝

射G英雄伝
楊旭文版 2017年

 2017年の楊旭文版射G英雄伝である。
 もちろんストーリーは判っているし、迷子さんの評で様子も判っている。それでも見始めた。
   ストーリーはこちら 射G英雄伝の世界2 年表・あらすじ
 李亜鵬版射雕英雄伝と比べてしまう。(雕の字は当時使われていた)
 見始めたばかりだが、完顔洪烈(ワンヤンこうれつ)が、未婚の皇子らしい年齢だ。李亜鵬版の洪烈はかなりの高齢に見えた。18年後も不自然ではない。話の中心はそこからだ。
 郭嘯天の妻李萍(りへい)と楊鉄心の妻包惜弱が、まるでお姫様のようで、貧しい農民の妻には見えないのが異様だった。
 酔仙楼の戦いでは、酒を飲むシーンが見苦しい。水道の蛇口をひねったようにして流れる酒を口に注ぐが、全部口からあふれている。それでもやめない。
 それから武闘シーンに、やたらスローモーションが使われてイライラする。

 第2回でジェベ師匠が加わり、テムジンを大カーンと呼んでいる。お世辞かな。
 第3回ではすでに蒙古が金の使者を迎える場面だ。
 金の使者を迎えるときも、コの字型の机の並びで、オンカーンが中央で、テムジンは脇で客と向かい合う席だ。そしてオンカーンの義子と名乗っている。
 正式にはモンゴル帝国では、
初代 ジンギス・カン
二代 オゴデイ・カーン
三代 グユク・カン
四代 モンケ・カーン
五代 クビライ・カーン(大元の初代皇帝)
と複雑。
 原作小説では「第一巻 砂漠の覇者ジンギスカーン」である。
 登場シーンは、兵士の台詞で
「テムジンさまが来られた、大汗(たいカーン)が来られた」であり(文庫本ではP136)、あちこちで台詞では『大カーン』と言われる。だが地の文ではテムジンである。
のちのジンギスカーンであるが(P137)、と、今はまだジンギスカーンではない。
 蒙古はまだ草原の小部族にすぎない。(P153)。
 つまり草原の小部族であるのに、大カーンと呼ばれていることになる。

 もちろん原作がそうなので、このドラマでは、これでよい。
 ハーンということもあるが(言語の違い)、カンとカーンの両方を指すようだ。(普通はカンを汗、カーンを大汗とする例が多い)
 
 ドラマは黄蓉と郭靖が二人して洪七公の弟子となるところまできた。欧陽克に掠われた程瑶迦を助ける。その時、洪七公と再会し、降龍十八掌の残り三手を教わる。特に引っかかるところはなく、順調である。
posted by たくせん(謫仙) at 14:56| Comment(0) | 射G英雄伝 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年02月22日

多情江山

2月22日記
3月16日追記

多情江山  日本名 皇貴妃の宮廷
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 清朝の第3代皇帝順治帝(じゅんちてい)(在位1643−1661)名はアイシンギョロ・フリンの宮廷ドラマ。
 清が北京に入城したとき皇帝フリンはまだ数え6歳であった。摂政王ドルゴンが権力を握っていた。フリン13歳のとき、ドルゴンの死後に親政を始める。しかし、数え24歳で没した。(北京入城と没年だけは数え年であることを確認した。他も同じだろう)
 あまりに若い逝去なので、俗伝では五台山清涼寺で出家したという。鹿鼎記はこの説を採用している。鹿鼎記によって、このドラマの顛末はある程度察することができる。
 その第3代皇帝順治帝の22歳から亡くなる24歳までの話。治政は短いものの一応名君と言われている。
 康煕帝は8歳で即位したので、順治帝16歳のころの子で第三子。このドラマの初めのころは康煕帝は6歳くらいだが、城外で育てられた。その他にも大勢の子がいるが、順治帝の子に対する情は薄かったようだ。子ばかりでなく、皇貴妃たちに対する情も、董鄂妃以外は薄かったらしい。
 その董鄂妃とのラブストーリーだ。

 ドラマでは董鄂妃は江南地方(?)の歌姫である。史実は弟の嫁を奪った。
 ドンゴ氏(董鄂氏)は死後に孝献皇后となる。子の第四子栄親王は三ヶ月(?)で夭逝している。
 順治帝は漢文化を尊重した。そして名品の献上をやめさせたり、官職の合理化を図ったり、質の悪い官僚を追放したりした。庶民の負担の軽減をはかっている。それで名君といわれる。
 わたしは鹿鼎記の前章のような感覚で見ている。見始めたばかり、何かあったら加筆訂正をする。

   ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
3月16日追記
 この中で孝庄太后(順治帝の母)役の袁詠儀が名演といえよう。動きはほとんどなく、席に座っての発言ばかりだが、このときの顔の表情が素晴らしいのだ。喜んでいるときや悲しんでいるときは誰でもできる。しかし、心では喜んで表情は厳しくとか、知らぬふりをするとか、建前と本音が違うときの複雑な表情が見事に演じ分けられている。
 董鄂妃を受け入れながら、臣下の前や後宮では厳しいことを言う。そして双方を納得させる。このあたりの複雑な表情を演じながら、威厳を保っている。
 建国の厳しさを知っている故に、特権に溺れる臣下や後宮を常に引き締めているので、董鄂妃に厳しくとも、その行動に頷いてしまう。
posted by たくせん(謫仙) at 08:27| Comment(0) | 武侠世界 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年02月15日

開封府

開封府−北宋を包む青い天−
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「包青天」と言われた名裁判官包拯のドラマ。
 日本の「遠山の金さん」や「大岡政談」のモデルと言われている。清廉潔白で公正無私、対象は官界ばかりでなく皇族まで踏み込む。創作された話であるが、その姿勢は庶民に愛されている。
北宋は960−1127
包拯は999−1062
 説明では「北宋時代末期に活躍し、」とあるが中期と言うべきであろう。

 このドラマでは、仁宗が即位(13歳)(在位1022−1063)した頃科挙に合格して、開封で出仕して活躍している。しかし、史実では仁宗の5年に合格し地方官になる。一度致仕しで故郷に帰り、再び仕官したのが1036年。仁宗の27歳ごろ。だから都開封で活躍したのは1036年の後になる。
 ドラマでは開封で重大事件を解決し、皇太后に嫌われ、一度故郷に左遷され県の知となる。そして十年後にまた開封に出てくる。

 仁宗の皇后選びが問題になっている。その中でよく李Uの詞が歌われる。この曲は今に伝わっているのだろうか。それともドラマのために新たに、いやドラマのためででなくてもよいが、新たに作曲されたのだろうか。
 参考 李U
    李後主 −詞帝−
 で紹介した『虞美人』も歌われた。

 有力者ふたりの娘と孫が、美人(後宮の位号)として入宮し、仁宗は母の皇太后にどちらを皇后にするか決めろと迫られる。
 そんなとき、そのふたりが入っているそれぞれの宮殿が同時に火事になる。仁宗もその中にいた。
 その真相を調べるため、皇太后は、故郷に左遷させた包拯を開封に呼ぶことになる。嫌ってはいても、人格と能力は信用しているのだ。

 まだ途中なので、追加があったら書き加える。
posted by たくせん(謫仙) at 10:40| Comment(0) | 武侠世界 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年12月20日

鹿鼎記 韓棟版

鹿鼎記 韓棟版
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 今年見た武侠ドラマは琅琊榜(ろうやぼう)に、この韓棟版鹿鼎記であった。孫子大伝も見たが、それは武侠ではない。
 この鹿鼎記、これが意外に面白かったんだな。主役の韋小宝は韓棟。少年時代は無理だが、大人になってからははまっている。
 武侠ものは数回分見てがっかりして終わり、ということが多いのだが、これは50回の最終回まで見てしまった。
 もっとも終わる場所は常春の雲南でも揚州でもなく、極寒の鹿鼎山で、この土地で牧歌的に隠棲というのは腑に落ちない。これでは揚州などの後日談が成り立たない。だから後日談がない。母親は揚州に置き去り状態。
 韓棟版の特徴は、台湾編とロシア編と雲南からの往復の旅編がないことか。その辻褄を合わせるため、ストーリーはそれなりにいじっている。
 それから7人の妻や九難や陳円円など女優たちが、みな若く同年配に見えるのが可笑しかった。陳円円と阿珂は賈青の二役なので、どちらが母か娘か判らないほど。そして他の女性たちと比べても特に美人ということはない。
 三藩の乱のころ、九難は45歳ほどだが、年を感じさせないって、まるで弟子たちと同じ年代のようだ。
 偽皇太后も若いとなれば、女性たちの年齢を考慮していないように思える。
 また、康煕帝と韋小宝をはじめ男たちの頭は、ほとんどが、いつでもたった今剃り上げたばかりと言う状態。かすかに黒みが見える程度。康煕帝と韋小宝の顔は、まるで女優のようにつやつや。こんなことは黄暁明版では感じたことがなかった。今回はそれが目立つということかな。
posted by たくせん(謫仙) at 08:04| Comment(0) | 武侠世界 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月20日

医食同源

岡崎由美先生と行く中国の旅
四川省名山の旅−道教・仏教聖地と武侠文化を訪ねて 9

 これで今回の旅は終わる。
 8月21日の夕食は薬膳料理だった。

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 欽善齋はかなり有名らしい。欽善哉の文字の左に乾隆御筆とある。偽筆とは思いませんが…。
 このレストランの二階のかなり奥の部屋だった。

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 中庭である。

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 いつも我々12人で1卓である。
 四川省は薬材の宝庫である。盆地の周辺は高山が連なっている。その高山が緑豊かで、動植物の種類が多い。それで薬材が多い。漢方薬といえば四川省というほど。その中でも青城山は高名だ。

 その薬材探しの人が洞窟に入ったらそこはユートピアであり、出てくると数百年も経っていた。という話が多い。逆に神仙が薬売りになって人間世界に来る話もある。四川は古くから中華薬材の集散地としてしられている。
 ただし、全国的に有名になったのは宋代になってかららしい。
 当然毒薬もある。
(最初の岡崎先生の講義の一部)

 武侠では、どんな重傷も薬を付けると一瞬で治ってしまう。着ていた服の穴まで繕われてしまう(^_^)。
 これは神仙の技が人間界に流出してしまったからなのだ。

 ガイドは、次のようなことを言った。
「昔の人は大変な苦労をしただろう。ある植物のある部分がある病に効く。それを見つけ出すために膨大な実験を繰り返しただろう。毒で死んだ人もいると思う。漢方薬はそんな歴史の積み重ねの上に成り立っている」
 薬膳料理はそんな歴史の裏付けのある料理である。
 中国には薬食同源(医食同源)という思想がある。
 少し違うが、日本のドラマ「みをつくし料理帖」でも医師源斉は「食は人の天なり」と、食事は薬より大事だと言う。「おいしい料理を作れる人はそれだけで貴いのですよ」と。(田郁 原作)
 現在中国では中華料理を世界遺産にしようとする運動があるらしい。
 岡崎先生はガイドに、「医食同源の考え方を入れるべきだ、それが思想的裏付けとなる」と言う意味の事を言っていた。

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 さて、料理の実体はどうか。実はわたしにはいつもの料理と区別できない。だから医食同源か。

 ここでもほとんどの料理が辛くて食べらない。こんなに辛くしたら毒ではないか、は冗談としても、いくら種類を並べても食べられなければ意味が無い。薬は毒を薄めたものというのがわたしの思想である。この辛さは毒に近い。みんな平気で食べているのが不思議で仕方ない。
 まあ、わたしが辛さに対して過剰反応しているンだろうな。
 一見無害そうなスープでも、唐辛子とは違う辛さで、むせて吐き出しそうになった。山椒だったらしい。
 そんな中でも、なんとか食べられるものを見つけて、それなりに食べている。

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 たとえばこの銀杏の実は、わたし1人で半分ほど食べてしまった。これだけははっきり憶えている。

 わたしはカレーが好きである。カレーはおいしさのある辛さ。だが四川料理の辛さはおいしさのない辛さ。しかも辛さのレベルが違う。でも四川省の人はおいしいと思っているのだろう。
 中国に唐辛子か入ったのは17世紀の半ばという。以来400年。これだけ期間があるのだから、薬材との適合性は試されているのだろう。
 なお、唐辛子の辛さは舌には痛みと感じられるという。
 中国でも、現在は西方が中心である。西方とは私たちが普通に使っている西洋医学である。漢方薬も日方(日本の漢方薬、とは矛盾する言葉だが)の方が信用があるらしい。こうなると、ますます薬材としてより薬膳の材としての意味が重くなりそう。

 関西の2人は明日の朝別便で発つ。
 今回が皆の集まる最後になる。それで、今回の感想や次回に行きたいところなど、意見を交換した。
 わたし自身のことをいえば、体力の衰えを実感じた。20年前までの山登りの体力は夢である。
posted by たくせん(謫仙) at 06:00| Comment(2) | 武侠世界 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする